根底は「ビーイング・お母さん」
野中:ベンチャーキャピタリストの伊藤穰一さんが、日本の「ネオテニー化」という単語を30年前くらいに使ったんです。
福田:ネオテニー化?ですか?
野中:neoteny(ネオテニー)=「幼児化」ですね。日本社会の、このネオテニー化はひどい、と。以前、ある国立大学で授業を行った時も、私は思わず学生に言ったんです。「ごめん。正直な感想を言っていいかな。君たち全員、中学生にしか見えない」と。本当にネオテニーなんですよ。目力がなくて、存在に「気」がないんです。
福田:エネルギーがない。
野中:そうです。大学に入って学んでやろうという、エネルギーがない。つまり「おのれ」がそこにいない。過保護の成せるワザ。同じ哺乳類でも、ウマとか、ウシとか、キリンは、お母さんから出た途端に狙われるわけじゃないですか。だから走れる力が備わっている。一方で私たちはネオテニー化して、「面倒を見てくれないと嫌だ」「自分の力だけでは生きていけない」「親ガチャ」となって、集団・集合の社会を作っていったわけですけれども。
福田:だから、弱まっちゃったわけですよね。都会って、弱者を救う機能だったわけですよね。昔、みんながターザンだったら服もいらないし、家もいらなかったわけですけども、弱い人がいたから、種の保存のために人が集まって、やがてそれが都会になっていったと思うんですけども。でも現代においてはそれが行き過ぎて過保護になって、幼児化が進んで…。アートの世界でもそうなんですよ。日本の現代アートは全然海外に評価されないんです。みんな「マンガみたい」って言うんですね。別にマンガ、幼稚ってことないですけどやっぱり幼稚なんですよ。つまり、アブストラクト(抽象)が描ける人が全然いない。日本人は「だって、村上隆はすごいじゃないか」と言うものの、毎年出るニューヨークのアート年鑑には、日本人アーティストって、100位以内には入ってないんです。日本は「キャラアート」と呼ばれたりしますけど、やっぱり幼児性がありますよね。
野中:そうですね。よく分かります。
福田:でも今日は、野中さんのエネルギーに圧倒されっぱなしでした。
野中:そうでしたか? ごめんなさい。
福田:いやいや。でも予想外でした。社会のお話になるかなと…もちろん社会のお話でもあるんですけど、生きるという、根源的なお話になると思わなかったので、本当に背筋がぴんとしました。
野中:野中は、それしかないんですよ。だからよく、「証券会社の理事長をやって」「電機屋さんの会長をやって」「ビール屋さんの取締役」をやって凄い…っとおっしゃっていただくのですけど、いやいや、私にとっては、そこで仕事をしている従業員の方々も人間だし、商品を買ってくださる方々も人間だから、より喜んでくれる人類を増やし、より喜んで働く環境を創れば、さらにより良いものを作りたくなるし、より良い自分になりたいと思う。だから、どこの会社に行っても、やることは同じだと。そこをチェックするということしかやっていないので……。
福田:やっていることのお仕事のカテゴリーは違うけれども、根本にあるものは一緒。
野中:はい。コア・コンピテンシー*3)は全く変わらずで「お母さん」。ビーイングお母さんです(笑)
福田:そのエネルギーと元気とクリエイティビティーで、ぜひ何かご一緒できたらと思います。
野中:はい、ぜひとも。ありがとうございました。
福田:ありがとうございました。濃い中身でうれしかったです。
*3)企業の活動分野において、 「競合他社を圧倒的に上まわるレベルの能力」 「競合他社に真似できない核となる能力」。企業や組織を経営していくための必須要素のひとつ
(了)
(前編へ)