1700年~:オートクチュールの時代とその衰退
こういった概況をそれぞれご説明致しますと、1700年代のオートクチュールの時代っていうのはサロン文化、社交界っていうのが前提にありますので、その限られた人たち、限られた場の中でステータスの違いだとか、自分の美的センスを見せるためにそういったファッションブランドはオートクチュールの中に存在し得たということです。1868年にそこに登録してるメゾン(ブランド)数が100あったわけなんです。そういうかたがたは熟練した職人の手作業によって一点一点高級品を作っていたわけなんですね。ただ、そのオートクチュールも、衰退が激しくて、50年代になりますとメゾンも60に激減します。これがラジオ、テレビの勃興期に重なるのはおもしろいですね。このときのオートクチュールの顧客が2万人いたんです。それが今では、オートクチュールで頼む人が200人ぐらいしかいないってことで、本来の目的としてのオートクチュールは存在しないも同然なのです。(ブランドの見本市としては存在する)そういった流れの中で、ブランドは、プレタポルテっていいますけども、既成品作っていかないと商売を拡大できないということで、その最大のものがマスメディアを使ったブランディングっていう概念につながってきます。
1990年代になりますと、メゾンの数はもう18ぐらいになってきて、オートクチュールコレクションを行ってるブランドがさらに格を上げるためにつくったブランドイメージで、服だけじゃなくて、香水とかバッグとか、より付加価値の高いライセンスビジネスで採算を取って収入を上げていくということが進んでいきます。
つまり、オートクチュールは、もともとあった歴史あるブランドのベースになるものなんだけども、収益としては幅広くライセンスしているようなものという、両極を取ってやっていくようになったというのが、オートクチュールの歴史であります。
1700年代、オートクチュール時代のファッション