シンギュラリティーとは、「近代国家の終焉」
福田:さっき仰ったように、「アグレッシブな人はいいけども、物を言えない人のほうが一般的には多い」っていう時に、編集者的な役割というか、その場をコネクトしてつなぐ人が必要になりますよね。『ポンプ』の全員掲載!みたいな。長年そういうコミュニティーづくりの編集のプロである橘川さんから見て、中間マージンを取ったり、ピンハネを取ったりするような企業の機能が薄れ始めている今、人と人をつなぐ人の役割についてはどうなっていきますか。
橘川:「シンギュラリティー」は言ってみれば、その間に入っている役割を機械がやるっていう話じゃないですか。システムがね。だから、A地点とB地点に人はいるけれども、間は全部システムになっちゃうわけですよ。全部、一対一の関係しかなくなってしまう。
福田:そうなると、国家の役割はどうなると思われますか。
橘川:過渡期はあるでしょうね。国家も含めて、シンギュラリティーというのは、「近代が終わる」という話なんですよ。これまでも近代の終わりは語られてきたけれども、まだまだ全然、「近代の中」の話だった。近代国家の終わりを、今迎えているということですよね。
福田:仮想通貨が、まさにそうですよね。お金が民主化しちゃったら、国が要らないって話で。
橘川:そこに、何か希望を見いだせるのか。それとも悲劇的なことを想像するのか。で、今後はその近代をなるべく先延ばしにしようとしている人と、もう次のステージに行こうとしている人たちとの戦いが始まるんですよ。
福田:面白い。19歳で50年後を見通した橘川さんが今言ってらっしゃるんだから、恐らく僕もこの世にいないんでしょうけども、相当これが当たっているということを、読者の方にはピンと来てほしいですね。
僕も独立してから2カ月経ちますが、非常に気持ちがヘルシーなんですよ。周りからは「大丈夫ですか」とか「不安はないですか」ってよく聞かれるんですけどもね。橘川:僕は福田さんに、ちょっとひと言ある。福田さんは独立を「自分探し」と表現されていましたが、「自分殺し」の方がいいです。自分殺しの旅に出なきゃいけない。それは、今までの自分を殺さないと自分は見つからないからなんですけども。今までの自分の延長線上で個人になっても、それは個人じゃないんです。個人は、ゼロから始まる。だからいつも、ゼロから始めなきゃ。
福田:なるほど。自分の中では、まだ20世紀的な感じを残しているのかもしれませんね。
橘川:20世紀でものすごく一生懸命やったから、それが染み付いているんですよ。
福田:簡単には消えないのかも。
橘川:そのためにも、自分の20世紀を、自分を殺さなきゃ駄目ですよ。そうしなければ、21世紀は始まらない。
福田:結構、お金儲けも苦手なことではないから、「また会社つくろう」ってなったりするんですよね(笑)。橘川さんは初めてお会いした時から、「オレは金儲けが下手だから」って、断言されていましたね。
自分のことだから分析が間違っているかもしれませんけど、お金に対する態度の問題って、独立前も後も、全く変わらないんですよ。一企業の社長といっても、何だかんだ言って人のお金じゃないですか。それが個人になるということは、ライフシフトで100年まで生きるとして、すべて自分のお金ですよね。ところが不思議なことに、近しい人たちが「また、なんかやりましょうよ」って言ってくるので、「おぉ、やろう。来いよ」とかって、僕はまた始めちゃう。100パーセント自分のお金から人に給料を払うとなっても、僕は何とも思わないですよ。だから、なんかお金に対する向き合いも、引き受けちゃうきっかけになっちゃうというか。橘川:福田さんは、やっぱりそういうのが得意なんですよ、きっと。
福田:好きなんですね。