キラキラした時代をつくったのは、 かつての名コピーライターだった
福田:こやまさんは、学生時代の就職活動の時、すでに「広告業界に行こう」と決めていらっしゃったんですか。
こやま:いや、全然決めてなくて。大学時代は就職活動よりも、東南アジアの学生と交流する国際交流のサークルに熱中していましたね。リクルートスーツ着て、パンプス履いて……的な就職活動をするのが我慢できなくって。サークル活動の方に逃避していたら、留年してしまい。
福田:そうなんですか。
こやま:しかも、時同じくしてバブルがはじけて、氷河期になって。95年卒なんですけど、「女子大生の就職難」と言われ始めた時期に就職になってしまったんです。友達はすでに大企業に就職していて、「今さら就職活動しても、みんなに負ける」と思いました。ならば、たとえ規模の小さい会社でも、そのうち追い抜けるような仕事に就きたいと考えた時に、技術職という選択肢が浮かんで。
福田:やっぱり、原点も職人だったんだ。
こやま:そうです。手に職つけて、腕を磨いて生きていくみたいな。そういうことをダメな学生なりに考えたわけです(笑)。改めて思い返してみると、子どもの頃から本も好きだし、文章も褒められていたし、言葉に関わることなら飽きずにずっとやっていけるんじゃないかなと。
だから最初は「文章を書く仕事がしたい」という思いが先で、編集ライターを目指して編集プロダクションに入社しました。その会社が広告も制作するところだったので、「コピーライターってなんだろう」という感じから始まったんですよね。
福田:僕が大学卒業した頃の広告業界というと、糸井重里さんや林真理子さん、川崎徹さんが第一線でしたね。糸井さんが西武百貨店のコピーで『おいしい生活』としたのは、非常に大きいことでしたよね。
こやま:あれは時代を捉えた、素晴らしいコピーですよね。
福田:最近、PARCOの方たちとお話をする機会があったんですが、「渋谷の公園通りやセゾン文化を作ったのは自分たちなんだ」という強い思いが伝わってきましたね。今でこそ、原宿のカワイイ文化が人気ですが、当時はやっぱり渋谷が強かった。渋谷を強くしたのは、糸井さんだったり、堤清二さんだったり、セゾン文化だったなと思います。
こやま:PARCOの広告もそうですね。糸井さんがやって、仲畑貴志さんがやって。その時々のキラキラした人がやるっていう、古き良き時代の広告を作ってきた感じがありますね。