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もっと自由にコピーが書きたい

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福田:こやまさんが大学を卒業された、95年前後の頃はどうでしたっけ。

こやま:90年代前半はちょうど、佐藤雅彦さんの『バザールでござーる』(日本電気NECの販促キャンペーン)などが流行した時代ですね。

福田:まだ全然、ネット以前だ。

こやま:そうです。全然。まだ版下とかがあった時代ですからね。

福田:版下、懐かしい(笑)。

こやま:入社後、最初は編集をやりたかったんですが、「モノを売るために文章を書く」という広告の難しさが、だんだん面白いと思うようになっていったんです。それで、宣伝会議の「コピーライター養成講座」に通ってみたら、今自分が関わっている広告の仕事はほんの一部で、もっと面白い世界があるんだというのが分かって。
CMを手がけているコピーライターの方とか、それこそ佐藤雅彦さんとか、大御所の方々に教わって、もっと広告をやってみたいと思うようになって。それで何度か転職を重ねました。その間にコンクールに応募して賞をいただいたり。

福田:転職は何回されたんですか。

こやま:4社ですね。最後は博報堂でした。

福田:すごい。転職のプロセスで、コンクールで受賞された作品というのは? 

こやま:TCC新人賞をいただいた後に、毎日広告デザイン賞広告主課題の部のグランプリをいただきました。新潮文庫の課題で、「悪いことは、作家が教えてくれる。」というコピーを書きました。今までにないくらいコピー褒めてもらって、その時は、やっぱり嬉しかったですね。

福田:4社目でたどり着いた博報堂は、それまでの会社とは違いましたか?

こやま:そうですね。でも各社、全然違いました。編集プロダクションから広告代理店、外資系に行って、博報堂だったんですけども、中でもその外資と博報堂の違いは大きかったです。外資系というのは割と、「こうあらねばならぬ」というカラーが強いというか。

福田:自由度が少ないですよね。「個を重視」というよりも、目的に対してミートするんだという。

こやま:はい。あと、外資ではコピーがあまり活躍できないというか。だからコピーライターも、企画を考えることが多かったですね。コピーだけではなく、ビジュアルや「どういうふうに世の中を沸かそうか」ということを考えるのは楽しかったんですけども。でも、そもそも文章が好きでコピーライターになっているので、「もっとコピーを自由に書きたいな」という思いがありましたね。博報堂に行ってからは、その思いが叶って楽しかったので、「自分はドメスティックな人間なんだな」と再認識しました。

(後篇へ続く)

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