日常とアート。水産学と理学。正反対の要素を融合する
福田:そうやって、総合化と専門化のウエーブを繰り返していると、だんだん自然の原理から離れていくんですね。
先日、トレンドを読む、面白い方にお目にかかりました。「次は女性の口紅はどんなものが流行るか」という研究をしている企業の方です。今はあまりテカらない、マットな口紅が流行しているそうですが、前年度はキラキラ光るタイプが流行していたらしいんですね。そういうトレンドの波を読んでいって、最もマイナーな状態からV字に上がってくる時に、化粧品メーカーに「これが流行りますよ」とアドバイスをするそうです。
口紅もネクタイも同じで、いろいろな流行を繰り返すわけですが、業界人としては、それを繰り返すうちに何を失うか。それは、やっぱり自然なんです。とくにアートは非常に土着的なもので、岡本太郎が言ったような縄文土器は生活用品ですが、それもアートになっちゃうわけです。紙一重といいますか、同じコインの裏表といいますか、アートと日常は無縁ではないですよね。美術というと、ちょっと浮世離れしたもので、実生活とは無縁のものに捉えられがちですけども。
光栄なことに、今年から岡本理事長の経営される横浜美術大学で、客員教授を務めさせていただくことになりました。そこでも「アートというのはテクニック的なことだけではなくて、世相のどこかに響いてくれるようなセンスも大切だよ」ということを伝えるきっかけを提供できたら、僕自身は面白いなと思っています。
岡本:もう、福田さんのおっしゃる通りですね。高校卒業後、「日本一の金魚を作るぞ」と思って東京水産大学に進学しました。でも入学した途端、先輩から「お前のやりたいことは、ただの趣味だ。東京水産大学は国民の食糧を担保する使命を負っているんだぞ」と一括されましてね。
福田:趣味ほど崇高なものはないと思いますけども。
岡本:そうですね(笑)。まぁそんなこともあって、研究の分野では「みんなのための食糧をどう作っていくか」ということを念頭に置いてやってきたんですね。現場に課題を求め、その材料を細分化して本体を突き詰めて、もう一度組み立てて、課題を解決する。
でも注意していないと、現場から離れてどんどん深みにはまり、理学の領域になってくるんですよ。課題解決ではなくて研究者の興味が優先される。扱う魚も、ヒラメだとかタイだとかの大きな魚だと、卵を取るための年月も大変だし、飼うことそのものがものすごく大変になってくる。それで今度はだんだん、メダカなどの小さな魚の研究に変わっていく。そうすると、現場に戻るつもりが戻れなくなってしまうことはよくあることですよ。
福田:面白いですね。
岡本:そう、水産学から理学へと、離れていくんですよ。
福田:理屈がはっきりしているんですね。総合的に包括して見る方というのは、いらっしゃらないんですか。
岡本:水産では現場と学理の両方を見る必要があるのですが、今はどちらかというと、現場からは離れがちな時代ですね。でも、また現場に戻らないといけない。そこのところは非常に重要ですね。
福田:なるほど。自分だけの専門領域になっちゃう。
岡本:そうなんです。学校経営でも、実学系の大学の場合はとくに、バランス感覚のある教員をどう確保し、どう配置するかが大事です。新規加入群である学生は常にバリエーションが豊富ですが、それを迎え撃つ教員側は、押し寄せてくる学生に対してどう網を張るのか、ということですからね。それは、「クライアントに対して、どう網を張るのか」ということと同じ。