クリエイティブであること、 お金を稼ぐことは両輪であるべき
福田:横浜美術大学もそうですが、「大学でアートを学ぶ」ということに関して、とても関心があります。アートという学びを通して、社会から何を求められているのか。どこに、そういうファンクションがあるのか。僕の時代は芸術系の大学というと、表現は悪いですが、「ボンボンの遊び」というか、「ご両親は余裕あるわね」的なムードでしたね。
岡本:福田さん、日本大学芸術学部ですよね。当時から「日芸生」といったらボンボンだし、いい意味で世捨て人みたいで、カッコよかったですよ。
福田:チャレンジ枠ですよね。あえて就職しないとか、中退するのがかっこいい、なんていわれて。
岡本:だけど本当に、そういう時代でしたね。僕は今の横浜美術大学では、二つのコンセプトがあると思っています。一つは、「食べていくことができる美大」。表現がよくないっていわれますけども(笑)。
福田:いえ、素晴らしいです。
岡本:そしてもう一つは、「芸術性を追求する大学」。この二つの両輪を、同時に達成できるカリキュラムを組む、そんな学校づくりをしています。
福田:客員教授のお声かけをいただいた時に、横浜美術大学のパンフレットを見て、講師陣の多彩さに驚きました。IKKOさんから石坂浩二さんから、隈研吾さんから。大学にもそういう商業主義があっていいですよね。
岡本:むしろ、なくしたら駄目ですよ。あっていいんです。
福田:僕が日芸の学生だった時、当時フジテレビの人気アナウンサーだった露木茂さんの授業が開講されました。もちろんパブリシティーにもなったわけですが、実際に第一線で活躍している方の授業は、学生側にも興味深かったですね。
かつての日芸では、「中退がかっこいい」という不文律があって、それは「学校にいる間がオン・ザ・ジョブ・トレーニングだ」という背景が理由だったと思うんです。美術や演劇など、あらゆる制作現場に触れる機会があって、ある種専門学校的なファンクションがあったので、社会との接点をよく作ってもらいました。「希望する進路先のテレビ局には、必ずOBやOGがいる」ということも多かったです。だから美大でも、社会との接点が低いと就職時に不利だし、社会に出るときに困りますよね。
岡本:「食べていくことができる美大」は、クライアントの要求を達成させていくプロセスの中で、他人のために「自己実現」を持ち込んでいくことだと思いますね。そしてもう一つの「芸術性を追求する大学」はそれとは反対のベクトルで、自分の内側に向けた傲慢なまでの「自己実現」。生活は二の次で、自分のために作品を作り続ける世界ですね。
この二つは同じプログラムの中で生まれて、実際に分断されるものではなく、両方の要素を持っているものだと思うんです。僕が水産大学時代にいろいろなことを経験してきたことと同じで、理学の要素と水産学の要素、この両方の要素は一つのプログラムの中で学ぶものなので、離れることはできない。
福田:たしかに。
岡本:理学の場合は、今度は医学と結び付くんです。医学は、理学の成果を利用するんですよ。最先端の現場にいる方は、それをうまく利用しています。
福田:僕は、アートの人たちは、ファッションをもっと利用したほうがいいと思うんですよ。ファッションの方はというと、アートを利用している。アートで面白いなと思ったものからインスパイアされているんですね。ところがアート側の人は、ファッション側から「売ろう」というマーケティングを学んでいない。そういう意味での天才は、村上隆さんです。彼はクリエイターであり、マーケッターなんですよ。お金を稼ぐこととクリエイティブはまさに両輪で、それを1人でやっている稀有な方です。いろいろな方がいていいんですけども、奈良美智さんは、「ギャラリストが見つけて生計を立てる」という、19~20世紀のメインストリームというか、昔ながらのタイプの絵描きですよね。
アーティスト集団チームラボ代表の猪子寿之さんの場合は、逆に商業主義から入った人ですが、最終目標は「イタリアのヴェネチア・ビエンナーレで賞を取ること」と言うんです。もちろん彼は商業的に成功しているわけですが、「アートとしての格付けが欲しい」という思いが彼の最終地点なんですね。そういうバランス感覚を持っている人を、教育システムで理解させるというカリキュラムを美大が率先して行っていかなければ、技法に偏りすぎたり、ちょっとコンセプチュアルにより過ぎたりしてしまうのではないでしょうか。
岡本:「美大というものはこういうもの」という、既定路線のようなフレームが決まってしまっているんですよね、きっと。
福田:そのフレームが機能していればいいんですけどね。例えば東京藝大出の超優秀な人がいたとして、現代美術を扱うことで知られる小山登美夫さんとかのギャラリーに行って、「じゃあ、あなたの作品は35万~50万からかな」みたいな感じで始めるわけですよね。仮に1枚25万として、生きていくのに最低でも250万かかったとして、そうすると作品が10枚は売れなければいけない。更に言うと、10枚売るためには年間で30~50枚描かなきゃいけない。でも社会との接点が少ない人が、何かのテーマ性で30枚も50枚も、絵は描けないですよね。だからすぐ市場から消えてしまうんですよ。
日本で現代アーティストといえば増田セバスチャンさんもそうですけど、別の商業主義で成功している人は、横尾忠則さんの系統ですね。「私、今日から現代アーティスト宣言をします。なぜなら、他のことで生計は成り立っていますから」という人しか、今は現代アーティストになれないんですよ。
だから、何が根本的に日本のマーケットで間違っているのかというと、教育とマーケットに対する、アーティスト自身の認識が弱いせいだと思うんです。僕が思うに美大では、自分の絵の流通がどうなっているかとか、アートというものがパブリックアートも含めて、どう社会に必要で求められているのかということを、もっと教えてあげたらいいのかなと。