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頭で考える前に、「出来る」という気持ちが湧いてくる

人生の秘訣!いまをどう生きるか?以上。  Talked.jp

福田:アメリカ生活はひと言で言えないかもしれませんけど、どうだったんですか?

坂野:ノリノリですね(笑)

福田:ノリノリ(笑) 「アメリカはデカくてびっくりしました」みたいな、そういうことはなく? その乗り越え力がまた、ハンパないですね。ひるむことはなかったんですか?

坂野:いや、それないです。ない。学校やめたときもそうだし、バークリーに行った時もそうだし、宮大工の世界に飛び込んだ時もそうだし。建築で会社を始めた時も、基本的には「無理、無理、無理」「出来るわけないでしょう」みたいなところから全部始まるわけですよ。

福田:そうなんですか?

坂野:大体、皆そうです。

福田:でも、ご自身でも「これムリじゃないの?」って、そう思ったりはしなかったんですね?

坂野:「出来る」という気持ちが、フツフツと沸いてきちゃうんです(笑) 好きな気持ちが沸いてくるのと一緒で。

福田:そこなんですよ。坂野さんにお会いするのは、今日で3回目ですけど、僕が坂野さんを好きなところ、そこです。出来る力、みたいなもの。
先日、とある講演会に招かれて、質疑応答の時に「夢の実現って、どうしたらいいんですか?」って聞かれたわけです。それで、こんな話をしたんです。僕、家が高速を降りた先にあるんですね。高速を降りるとすごい勢いでスロープを降りて、環8をUターンして、住宅街に入ると家で。で、いつもそのスロープ手前の信号が黄色になった時、静かに運転手さんにつぶやくんです。「行ける」って。そしたら、すーって行くんですよ。普通だったら止まるところでも、行けるんですよね。
何が言いたいかというと、「出来る、行けるっていう気持ちが大事だと思う」って講演で話したんですけど、冗談の話に受け止められちゃった。だけど、ほんとにそれで行ける精度が高まっていくと感じていて、今の言葉で言うなら「ブルーオーシャンだな」と。

坂野:わかりますよ。僕もアメリカに行ってノリノリで楽しかったのは、ある意味、日本にいた時の自分は無意識に「バランスしてた」んでしょうね。「いや、お前バランスないよ」って言わますけど、それでも自分なりにバランスしてたんですよ。っていうことが、アメリカに行ってよく分かりました。
「間合いを測る」的なことは、「あ、もういらないな」っていう感じがあって。もっとこう、自分はこう生きていて、身長は何センチだ! みたいな、ストレートなところだけでいいじゃんって。ダーン!!!!みたいな(笑)

福田:相手の事情とか考え過ぎですよね、日本人はね。

坂野:そうですね。それで、今は「シェア」とか「重なり」とか「つながり」とか言うじゃないですか。
でもそれ、僕はちょっと違う感じがして。例えば音楽家って、皆「俺が、俺が」って自己主張の激しい人ばかりだから、プロの仕事の場で、もう結果を出さなきゃいけないっていう時でも、平気でけんかとかしてるんですね。要は、個人っていうもののこだわりを、絶対に譲らないわけですよ。シェアとかいう前に、ガーッと己でいってる。そこがやっぱり、結果から見ると面白いことになってるんですよね。アメリカの面白いところは、個人の可能性に夢があるんですよ……社会もそれを諦めていない。

福田:いいですね。個人の可能性に夢がある。分かりやすいな。

坂野:そういう意味では、ジャッジも厳しいですよ。ものすごい厳しい。問答無用!みたいなところもありますけどね。

福田:アメリカのオーディション番組でも、「レベル高!」って思うのに、審査が厳しくて落ちたりしますよね。この前、黒人の14~5歳くらいの子で、すごいうまい子が出てたんですよ。でも審査員の人が、「あなたは上手いけど、もうちょっと長い目でマーケットを見た方がいい。今回は落とすから、もっと勉強してね」って。それがすごくロジカルだったんで、その子も泣きながらも「納得」なんですよね。
 僕の友達にも、ものすごく歌がうまいのに、なかなか売れない子がいるんですよ。でもアメリカの厳しさとは違って、歌がうまくても花開かない日本社会って何だろう?と思ったんですよね。だから、クリエイティブよりも、さっき坂野さんがおっしゃった、確定路線のトレーニングを続ける人の方が強いのかな。
サラリーマンの方が強いから、フリーランスの方が弱いから、相対的に本当の才能を発掘する土壌にない。だからアートも音楽も、この国ではちょっとイマイチな気がしますよね。そこを変えていければ面白いと思うんですけど。でも現状は、やっぱりマーケターは、理屈者は、つねに企業や組織にいて安泰だから、チャレンジがなくなってしまうのかもしれない。「ちょっとお前、何か面白いことやってみろ」みたいな話、聞かれなくなっていってしまうように思います。

坂野:同調するのはもちろん大事ですけども、僕なんかは、「ここには、その駒は絶対に置かないだろう」みたいなところに、自分をあえて置くのが好きなんですよね。そこで何が起こるかを体感して、ある意味自分を実験道具にして愉しんでいるわけですよ。

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