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日本が受け入れた難民は、わずか「20人」

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福田:国家に守ってもらうことができない人がいる、というのは、平和ボケしている日本人からすると、衝撃的なことですね。

渡部:はい。大学で同級生が就活の時期に入ったとき、紛争の話とか、先住民の話とか、国家に守ってもらえない人たちの話とかを友達に語っていたんですよね。大学のカフェテリアで。そうしたら、「まだそんなこと言ってるの? もう就活だよ」みたいに言われて。えっ、まだ問題は何にも解決してないんだよ、と思ったんですけど、みんなにとって平和学とか国際協力論とかって……。

福田:単なる大学の授業のカリキュラムの一種。

渡部:そうなんです。それがすごいショックで。銀行や教職とか、手堅い就職先に就く子が多かったんですが、私はというと、「人間の安全保障」という謎が、前述のバングラデシュの滞在中ずっと解けなかったので……。「もう少し、それについて学べる場所はないか」と思ったんです。で、「人間の安全保障プログラム」というものを学べる、東京大学の大学院修士課程を受験するために上京しました。合格発表が3月4日だったんですけど、もう受かったつもりで2月から東京に来てしまって。

福田:すごい自信だ(笑)

渡部:今考えると、自分でもよく分からないんですね(笑) 上京して浅草でシェアハウスを借りて、その頃に日本に来ていたコンゴの難民たちに出会って。それがWELgeeを起ち上げるきっかけになっていったんですけども。

福田:そうだったんですか。

渡部:バングラデシュにもロヒンギャ難民キャンプがあるので、難民は決して遠い存在ではなかったんです。でも難民というと、私でさえ、「UNHCR(国連難民高等弁務官事務所。紛争や迫害により難民や避難民となった人々を支援するために設立)から水とかを届けてもらっている大変な人たち」というイメージだったので、東京でスーツを着て、かっこいい赤いハットをかぶっている人も、「国に戻ることができない難民」というのは意外でした。東京に難民の人がいることを知らなかったんですね。

福田:難民認定されて日本にいる場合、普通に就職することはできるのですか。

渡部:認定されていれば、ビザ上は全然問題ないです。でもそれが、2017年の統計でいうと、認定されたのは20人のみ。難民としては認定しないが、さすがに祖国の状況を考えると保護せざるを得ないという意味で、「人道的配慮による在留特別許可」をされた45人を合わせても100人にも満たない数字でした。その他多くは、ひたすら認定を待ち続けています。

福田:日本で難民認定されたのは、20人。申請人数は約1万9000人。

渡部:そうです。そもそも最初の約8カ月間は、就労許可がありません。国連の難民キャンプもないし、政府の難民シェルターもないので、住む所もないしお金もないけど仕事もできない。

福田:でも、その状況でなぜ日本にいられるのでしょうか。

渡部:「いてもいいよ」っていう、ただそれだけの、「強制送還はしないよ」っていうビザなんです。「難民申請中だから待っていてね」っていうビザなので。

福田:でも働いちゃ駄目なんですよね。お金が尽きたらどうなるんですか。

渡部:飛行機で日本に来る人たちがほとんどの今、さすがに一文無しで来る人はいないんですよね。もともと経済資本や社会資本があった人たちも多いので。けど貯金なんて尽きるし、どこ行けばいいかも分からず、都内のホテルなんて泊まったら「1万円」とか言われて。「1日1万円?」と思いながら、どんどん手持ちのお金が減っていって、その後、路上生活になる人もいます。

福田:たしかに、ホテルのレートなんてわからないですもんね。

渡部:中には、同郷の人に会えて居候させてもらっているとか、教会に住まわせてもらっている人とか。日本のホームレスの問題と似ているのは、どんどん見えなくなっている点。若い人たちは、ネットカフェやマックとかに行くじゃないですか。それと一緒で、24時間営業の都内のマクドナルドに100円のコーヒーを買って、夜を過ごすとか。昼間はひたすら山手線に乗って、1日時間をつぶして、「今日はどこで寝よう」みたいな。でもパッと見は、スーツケースを持った外国人観光客にしか見えないので、誰も声かけないからどんどん孤立してしまうんですね。

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