問われるのは「10人中1人」になる覚悟と楽しさ
福田:でもやっぱり子どもって短時間で集中力が切れてしまうので、それをいかにキープするかが肝心ですよね。僕は先日、三谷さんの講演を伺って、どんどん前のめりになって最後までお聞きすることができた。子どもと同じように飽きっぽいので、あまり長時間の講演は集中力が切れるので苦手で、だんだん意識が遠くなってしまうことが多いんですけど(笑)
三谷:聴衆に集中力を保たせるコツは「行ったりきたり」で学びました。元々は大人向けに教えることで鍛えてきた力を、子ども向けにやり始めたわけですよね。子ども向けにやることでも、「もっと面白く」とか、「もっとビジュアルに」とか、「もっと身体を動かして」っていうことを学んで、今はそれをまた大人向けに持ってきています。
福田:お話を聞く限り、三谷さんにとって”教える素”になるものが、非常にわかりやすい身近で俗人的なところから入って、宇宙の果ての深いものを知らしめてしまうような感じなんです。
今、プログラミングだとか機械化だとか、これからの仕事はディープラーニングしたAIがやるという話が盛んですけども、三谷さんの場合、AI時代に人類がどうなるっていうふうに聞かれたらどういうふうにお答えになりますでしょうか?
僕自身は、「考えること」「遊ぶこと」「人を助けること」。この三つしか、人間の仕事はなくなると思っているので、かつてソニーの盛田昭夫さんが「ウォークマンを作ろう」と考えたことやスティーブ・ジョブズが「iPhoneを作ろう」と考えたような発想、アーティーなセンスが不可欠になっていくと考えているんですけども。
三谷:リーダーシップ教育とか、「子どもにMBA」みたいなのもいいはと思います。けれど私はいつも、自分の対象は子どもたち全員だと思っています。エリート教育を受けて、それで本当に食べていけるのはごく一部だけですよ。だから「みんなが食えることって何だろう」と思うと、新しい商品や新しいビジネスなど、そういうものを生み出すこと。これはさすがにAIだってまだできない。そういう、新しいことを組織的に体系立てる、もしくは新しいモノやサービスを作るというようなことは、年間何百万人がやっている仕事で、AIにはまだまだやれない領域なのです。日本には子どもたちが一学年100万人いて、その子たちが大人になって仕事をして、食べていかなくてはなりません。でもAIの専門家になったって、それで食べていけるのは年間数万人でしょう。だから、新しい組織や新商品開発チームを作り、それに参加していく気合いや能力がダイジなのです。ただその能力はいろいろでいい。フットワークの軽い人も必要だし、頭のいい人もそう。ただし全てに共通しているのは、「新しいものにチャレンジできる」というその気合。決めるべきことは決めなければいけないし、がんばって発想もしなければいけない。「決める」ことは10人中3人になる覚悟、「発想する」ということは、自分が10人中1人になる覚悟ですよね。しかもそれが覚悟じゃなくて、楽しいと思えなきゃいけない。誰も言えないことが言えたとしても、それが楽しいと思えなきゃ続きません。逆にいうと、それができるかどうか。それさえできれば、新しいことにチャレンジして、自分の得意なことを武器にして、イノベイティブな組織に入っていくことがきっとできます。
福田:そう、10人のうち1人になる覚悟がある人はリーダーですが、残りのフォロワーの人も全く役に立たないのでは決してないですよね。フォロワーなしではリーダーも成り立たない。そういう構図は、20世紀型の大量消費・大量生産の時代において、日本人は非常にうまくやっていましたよね。でも、ネット革命以降、一芸に秀でる者もいるし、「大手企業に入るよりも給料はいいよ」なんて時代になったとき、どういう働き方改革がこれから起きていくんでしょうか?
三谷:でもね、リーダーは元々「10人中1人になれる人」ですが、これからはフォロワーも、「10人中1人になれるフォロワー」にならないと、と私は思うんです。中小企業とかベンチャー事業に挑むとか。リーダーが全部保障してくれるわけじゃないし、ベンチャーだけど面白そうだから入ってみようと思える。別に自分でビジョンがある訳ではないけど、そういう「動けるフォロワー」みたいな。
福田:そういうことですか! 組織のフォロワーに限らなくて、身軽なフォロワー。これは新しい概念ですね。
三谷:教育の側面から言っても、「人と違うことをする、できることを怖がらない子を育ててください」と、私は親や教員向けに伝えています。子どもたちにも、「これからの時代は簡単ではない。でもキミたちが戦いやすい楽しい時代だ。知識や経験があまり役に立たないから」と話しています。ただ、自動的に勝てるわけではありません。一秒でも長く人より考えなきゃいけないし、面白そうなものがあったら「アハ!」で済ませないで、「なんでだろう?」 と思わなきゃいけない。