読書体験が「アップデートした自分」を作る
福田:その「なんでだろう?」ですよね。大学生対象に講演をさせていただくことがあるんですけど、質疑応答になると必ず出るのが、「自分は何をやって行きたいのかわからない」。別に、大学生の時点で必ずやりたいことがないとダメとは思わないし、あったけどやってみたら違った、でもいいと思うんですね。ただその質問が出る背景には、「将来、やりたいことがなければならぬ」という教育をずいぶん受けてしまったことで、強迫観念に囚われているのかな、と。ほんの小さなことでも、興味関心ってあるとは思うんですよ。でも、その見つけ方がわからない学生たちに、どう教えたら響くのかなと。僕自身は、教わることが苦手だったもので(笑)、いまでも手探りで講演してます。
ただ、僕も幼少期から読書が大好きだったんです。中学生のとき、ガルシア・マルケスの本を読んで、どうすればあんなすごい書き手になれるんだろうって思ったら、「図書館にある本を全部読めと先生にいわれたので、全部読んだ」という一文を見つけて。これに影響受けて、僕も全部読もうといろいろ読み漁りました。「夏休みの課題図書」的なもので新潮文庫の100選とかあると、カミュとか読んでみたりしてね。「わりと面白いじゃん」って思ったときに、当時はあまり全集なんて出てなくて、出ていてもむちゃくちゃ高くておこづかいでは買えないので、バラで買うしかない。それで随筆のような作品も含めて、バラでいろいろ集めました。そこまで読み込むのが好きだったので。 でも、10代の頃じゃないと読めない本ってありますよね。自分がのめり込んだ知識を蓄えられる時期、インプットの時代が終わってしまった後、アウトプットを求められるような年齢になったときに、どうやって新しい時代に追いついて、自分をアップデートし続けることができるんでしょうか?
三谷:独自のアウトプットをし続けるためにも、私は自分なりのインプット方法をやっています。その一つは、知識を幅広く蓄え続けること。中学生のときからずっとやっていることでいうと、新聞を端から端まで全部読むことですね。それも2紙やる。株価がどうこうとかは読みようがないけれど、少なくとも見出しだけは全部読む。パラパラとやっていくことで自分の幅が維持されます。特に今の時代、放っておけばインプットは好きな領域の気持ちいい情報だけに偏ります。 これは読書も同じで、BCG入社後1年間、「サラリーマン小説100冊」だけじゃなくて、経営戦略やマーケティング、経済学の本を一生懸命読んでました。で、入社1年経ったときに、たまたま社内で先輩たちと雑談をしていたら、その内の一人とぱしっと意見がかぶっちゃったんです。「ヤバい、人と同じこと言っちゃった」みたいなすごいショックを受けました。自分は人とは違う発想・考え方ができることで雇われたと思っていたのに、同じことしか言えないなんて最低です。でも当然だと思いました。だってその1年、人と同じ情報ばかりに接していたんですから。それからはインプットの偏りが出ないように、ビジネス系の本一冊読んだら必ず別ジャンルの本を一冊読むと決めました。
福田:なるほど。自然科学の本を読むとか?
三谷:科学とSF(笑) それが私の発想の根幹なので。比率を1対1にしたのにはあまり根拠はありませんが、とにかくそれでいこうと決めて、インプットのポートフォリオを保つことをやり続けました。(『戦略読書』/ダイヤモンド社参照 )
福田:面白いですね、とても。やっぱり、アウトプットの源にあるのは、読書体験にほかなりませんね。
三谷:そういうバランスや広がりをとり続けながら、ずっと知識を貯め続けたことが私の発想力を支えています。常識に囚われなくて済むからです。誰かの「これって、こうだよね」という(常識的)意見を聞いたとき、知識の幅があるので、必ず反例を思いつきます。「そうじゃない場合もあるよね」って。相手の意見を否定するのではなくて、「ということは、どういうことなんだろう」っていうことを考えて一緒に話し合う。その人にとっては「これが常識だ」と思っていることも、じつはそうじゃないこともあるから、その裏や上位にあるメカニズムは何か、あるいはそれが特別なのか、次への予兆なのとか、いろいろ考えられるわけです。