『寺はプラットフォーム、仏教はコンテンツである』(対談 青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏) | Talked.jp

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『寺はプラットフォーム、仏教はコンテンツである』(対談 青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏)

福田:この間、ある絵本作家の人に井原西鶴の人生をドキュメントしたNHKのテキストブックをもらったんですよ。それによると、井原西鶴が物語の中で言っているらしいんですけど、人間としてやんなきゃいけないこと三つしかないと。生まれてくることと、愛することと、死んでいくことだと。なるほどと思ったんですけど、この中で、生まれてくることと死んでいくことっていうのは自分ではコントロールできないですよね。でも、愛することっていうのはやっぱり人の生活にとって根本的なテーマです。ウォンツとニーズって話を聞いて思ったのは、苦しみ(ニーズ)に気付いて根本的に自分を変えていかなきゃいけないことの理由って愛しかないですね。

青江:そうですね。

福田:誰かを愛して、そして愛される自分であって、社会とどう共生していくのかと。いや、僕みたいなウォンツウォンツ業界の中に居ると、そこに至るまでにはいろんな気付き方があるわけですけど、例えばビル・ゲイツは多分気付いてると思うんですよ。マーク・ザッカーバーグどうかな、いや気付いてるかもしれない、いや感覚ですよ、知らないですよ、私は話したことないですけど。その世界にあっては、ウォンツを追求しきってコツンと来た人がニーズに立ち戻る傾向はありますよね。

青江:そうです。僕も9.11の後、自分って何なんだろうって考えたときに、僕は日本人なんだ、こういう肌だし、こういうツルンとした顔だし、日本語がネイティブだし。じゃあ、日本って何だろうって考えたときに、どうもその近くに仏教っていうのがあるらしい、と・・。でも、ずっと食わず嫌いしてきたから、じゃあ、日本に帰って仏教学んでみようと考えたんです。会社をたたんで処分して戻ってきて、仏教を勉強してみたら、全く分かんなかったんですけど、半年ぐらいすると「生きづらい」って思わなくなっていたんです。それまでは毎日、口ぐせのように「生きづらい」言っていたのに、気付いたら言わなくなっていた。そこで、仏教は人を生きやすくするのかもしれないという仮説のもとで、いろいろと読んでみたらめちゃくちゃ面白くて、よし、じゃあ、お坊さんになろう。お坊さんになった以上は、仏教ってこんな面白いんだよっていうのをPRしていこうと・・。

福田:伝えたいと。

青江:はい。伝えていく、プロデュースするっていうようなことをやっていきたいと思って、彼岸寺(*)を立てて10年が経ちました。今、次のステップとして、第2の活動にシフトしたところです。

*超宗派仏教徒のインターネット寺院