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千歳船橋の「四天王」だった

デザイン経営時代のブランディング LGBTQに挑む、プレイメイトのチャレンジ

福田:なるほど。でも今は不良も少ないですからね。それで夜遊びというのは、六本木とか渋谷とかで?

万美:いえ、世田谷の千歳船橋で(笑)。周りの中学校の不良の子たちが千歳船橋に集まって、5丁目公園っていう所でたまって、「○○がいきがってる!」みたいなこと言って呼び出して…。それも、女子だけでレディースもどきみたいなのを結成して、マンツーマンの殴り合いをして…。

福田:えっ!!?

万美:「千歳船橋の四天王」までには入りました。一応、部活の剣道で鍛えていたのと、木刀も持っていたので。

福田:木刀も持ってた…(笑)。まあ、でも白黒ハッキリさせないといけないんだ、その世界は。

万美:そう、ハッキリさせないと。縄張りがやっぱりあるので。夜、私たちの場所にたまられていたら困るし(笑)。で、その当時、友達の影響でミュージカルを観るようになりました<。

福田:なるほど。それでミュージカルの魅力に触れた、と。

万美:はい。以前も、小学校5年生のときに『アニー』を観て、「出たい」っていう気持ちはあったんですけど。その頃から劇団四季を見に行ったり、ブロードウェイから来た作品を親に頼んで見に行きました。

福田:『シカゴ』とかありますよね。

万美:はい、あと『レント』とか。で、もう本格的にその道に行きたい、ミュージカルに出たい!って思って、オーディションを受け始めました。中学校2年の終わりくらいからですね。

福田:オーディションを受けるっていうことは、もうどこかの芸能事務所に入ってたんですか?

万美:いえ、当時はまだ入ってないんです。なのでオーディション情報はネットとか雑誌で調べました。『オーディション』とか『デビュー』っていう雑誌が当時はありまして。で、オーディション受けまくって、落ちまくって。母に「何でだろう?」って相談したら、「やっぱり芸能事務所に入らないと難しいみたいよ」っていうことを知ったんです。それで芸能事務所を受け始めて。

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