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芸能界最初の仕事は、 「日本一のヒップコンテスト」

デザイン経営時代のブランディング LGBTQに挑む、プレイメイトのチャレンジ

福田:芸能事務所は、どこの事務所を受けたんですか。

万美:ホリプロスカウトキャラバンに応募させていただき、最終までいったんですけど…。ちょっとダメで。で、ほかの事務所を受けようかっていうタイミングで、「トリンプさんが毎年開催している「世界一のお尻を決める大会」っていうヒップコンテストのオーディションを受けたことがキッカケで、サンズエンターテインメントの野田善治社長に見つけてもらい、サンズに所属になりました。

福田:ああ~! 野田社長というと、元イエローキャブという、グラビアで人気の女性タレントがたくさん所属されている……。

万美:はい。胸の大きな女性タレントさんが多くて有名な。でも株の売買がトラブルになったことから、『サンズエンターテインメント』っていう事務所に変わったんですよね。今もMEGUMIさんなどが所属されています。そこに、ぜひ来てくれとオファーが来て。それが17歳の時でした。

福田:デビューが決まったんですね。そこからが芸能人生。

万美:はい。マクドナルドまで一人で行って、初めてお会いしました。野田さんはオーラもすごくて、最初は怖かったですね。「もっと腹を絞れ」とか「芸能界とは?」とかいろいろ。野田さんってすごく厳しい方だったんですよ。しかも私は、そこでもけっこう問題児だったので…

福田:タレントとして問題児だった?

万美:…ですかね。プライベートも仕事も…。事務所所属のキッカケになったヒップコンテストでは、日本一に選ばれたんですけども。

福田:えっ?! そんなすごい「日本一」にもなったんですね。

万美:はい。2007年のです。実はその日本大会の1週間前に、髪の毛を巻く、190℃くらいあるコテの上に裸で座っちゃって、お尻の下にやけどの跡が残ってしまい…。当日はコンシーラーで隠せたんですけど…それはまぁ、自己PRになったというか。その後、アジア代表としてミュンヘンに呼ばれたんですね。

福田:ああ、そうか! トリンプは本社がヨーロッパですよね。

万美:もう、びっくりするぐらいいいホテルで…。日本代表の国旗みたいなのもつけていただいて。で、大会は2日間しかなかったんですけど、1週間くらいフリーな時間があって。ただ、未成年だったのでお酒も飲めないし、夜遊びもできないし、暇じゃないですか。なので、ホテルでずっと有料チャンネルを観て過ごしていたら、チェックアウトの時に何十万っていう請求書が来てしまい…。それで事務所にめちゃめちゃ怒られました…。

福田:かわいい話じゃないですか。そんな問題児じゃないと思うけど。

万美:いえ、でもやっぱり子どもだったなぁと。で、そういうこともありつつ、サンズさんでは3年間くらいお世話になりました。お仕事の大半はグラビアで、そこからバラエティとかいろんなお仕事をさせてもらったんですけど、やっぱり「ミュージカルがやりたい!」っていう思いがあって…。で、野田社長に話したら、「じゃあ、ニューヨークとかに行ったら」みたいなことになり、円満退社しまして。それで実際、ニューヨークに行き…。20歳の時でした。

(後篇へ続く)

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