エンターテインメントから見える、世界のつながり
福田:そういえば今朝のニュースで、ドバイで年に一度のラクダの売買市みたいな情報を見たんです。わざわざ砂漠で、ものすごい人数の人とラクダが混在したシーンを見ました。僕は4~5年前にドバイ行ったときに、ラクダばかりのフルコース料理を食べる機会があったのですが、僕はちょっと苦手な味でした。それで成田に帰ってきたら、「ラクダに触った方は申し出てください」って掲示板に書いてあったんですよね。「触ってない。食べただけ、触ってない!」として、そのまま出て来ましたけど(笑)
鷹鳥屋:MARSですよね。中東のアラビア半島にいるラクダの感染率がかなり高いんですよ。だから私も、歌手のささきいさおさんをサウジアラビアまでお連れしていたときに、ラクダ牧場でラクダがいさおさんに近づいてきたから、慌てて距離を置く、なんて場面もありました。
福田:そうなんですか。ささき先生は何の用事があってアラブに?
鷹鳥屋:もちろん歌いに、です。
福田:なんか、むっちゃ人気出そう!(笑)
鷹鳥屋:そうなんですよ。そのときは水木一郎さんには『マジンガーZ』と『アストロガンガー』を、ささきいさおさんに『UFOロボ グレンダイザー』を歌ってもらいました。『宇宙戦艦ヤマト』は歌わせないという。なぜかというと、現地で放映されなかったので、あまり知られていないんです。もったいない! 私は『メタルダー』の『君の青春は輝いているか』を歌って欲しかった!
福田:(笑)本当ですね! 結局、フジクリエイティブコーポレーションが1973年~75年頃に、イタリアとかドイツとかに『キャンディ・キャンディ』や『一休さん』のほか、永井豪さんの作品を持っていって、ブームになったんですよね。その後、中東にも渡っていったのでしょう。
鷹鳥屋:はい。最初にフランスで先述の『グレンダイザー』が大人気になったんですが、旧フランスの植民地だったレバノンでも翻訳され、テレ・レバノンで放映、そこから中東湾岸諸国に広がっていきました。
福田:そういう飛び火だったんですねぇ。
鷹鳥屋:そうです。当時、レバノンからクウェート、イラクなどの放送会社にアラビア語翻訳された『グレンダイザー』が流れたんですよ。それで大人気になった経緯がある。これはじっくり調べました。
福田:面白い! 僕は今、芸能エージェントもやっているので、「芸能事務所って何だろう」っていう研究をしてみたんですけど、こちらもものすごく面白くて。やはり、始まりは戦後の米軍キャンプなんですよ。ナベプロ(渡辺プロダクション)の創業者の渡邊晋さんから、ホリプロの堀威夫さんにしても、みんなバンドマンだったわけですよ。バンドマンが芸能事務所を作ったんです。僕が社会人になって最初に入社した東北新社の創業者の植村伴次郎さんだって、キャンプのバーテンダーをやっておられました。だから「米軍キャンプが作ったのが、日本のエンターテインメント」というのは、知られざる事実だなと思ったんです。アニメの世界進出のきっかけがフジクリとベルルスコーニ(彼の保有するイタリアの局が先陣をきった)までは分かったんですけど、そこからドイツ、フランスを経由して中東に行っていたんですね。そして冒頭にお話をした「鎧」に繋がっているわけだ。
鷹鳥屋:はい。文化という点では今中東はさまざまな文化に関する招致に力を入れており、アブダビで「ルーブルアブダビ」という、ルーブル美術館の姉妹館があります。
福田:へえー! できるんですか?
鷹鳥屋:3年、4年前に、話を持っていきました。ジャック=ルイ・ダヴィッドの絵画「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」が常設されています。ジャクソン・ポロックとか、毎回展示も変わるので、そのたびに行っています。
福田:アブダビのルーブルは、「ここにもルーブルが必要だよね」と思ったか、誘致されていったのか、どっちなんですか?
鷹鳥屋:アブダビ側のアプローチがあったようです。30年の契約だそうです。美術館の建物は電通汐留ビルのデザインもしたフランスの建築家ジャン・ヌーヴェル氏が手掛けていて、センスは抜群ですよ。
(後編へ)