『洗骨』の構想が生まれた偶然
照屋:もともと『洗骨』は、吉本興業がプロデュースする地域発信型映画プロジェクト*(2)の一貫だったんです。吉本か出資して、毎年つくる短編映画のプロジェクトだから、はじめに撮影する地域の場所も指定されるんですよ。 で、「今回は北谷町、粟国島、那覇の3つの中から選んで」と言われたので、特産品だとか、農産物だとか芸能とか、いろんな特徴を調べるわけです。粟国島は塩工場が有名で、粟国島といえば、塩なんですね。そこで考えたのが、ラブコメディでした。
福田:全然違う!
照屋:はい(笑)「粟国の塩工場の社長が、那覇に営業に来るたびにキャバクラで飲み歩いて、俺は独身だと言いふらしながら愛人を作って……」という設定を考えました。それであるホステスと恋仲になるんですけど、粟国にはしっかり家族がいる。で、そのホステスは彼にサプライズで、突然粟国島に来るわけですよ、驚かせるために。社長は愛人にも家族にも、ウソをついているのがバレたくないから、そこでドタバタする……という内容の脚本を書き上げたんです。 そのロケハンで粟国島に行った時、プロデューサーがたまたま、「そういえば粟国島って、洗骨文化まだ残っているよね」ってボソッと言ったんです。すべて、そのひと言からでした。「何ですか? 洗骨って!」って。僕らの世代は、洗骨のことを知らない人ばかりですが、昔は沖縄本島でもみんなやっていた風習だと聞いて、もうそこに心掴まれてしまいました。塩工場の社長の脚本は捨てて、「洗骨で撮りたいです。脚本もう1回書かせてください!」って頼み込みました。
福田:いや~、洗骨の話を聞いてしまったら、それは衝撃を受けますよね。今のお話から、ゴリさんはやっぱり、監督としての本質的な資質をお持ちだったんだなと思いました。
照屋:その時は、30分くらいの短編映画として脚本を書きました。予算も少ないですから……。3日で撮らないと、ギャラが払えない予算なんです。短編1本で予算は300万円って決まっていて。
福田:300万円!
照屋:全部300万円です。だから、それでなんとか3日くらいで撮れるスケジュールの内容の脚本を作り上げていくわけです。結果的に短編で撮ったけれど、それがいろいろな賞をいただくことになったんですね。ショートショートフィルムフェスティバルとか、海外とか。それで吉本から「こんなにいい映画が撮れるなら、制作費を出すから長編にしなさい」と言ってもらいました。「ただ、これはグローバルな内容になると思うから、海外の人にも分かる内容にしてね」というのが条件でした。
福田:そのプロデュース能力、さすがですね。
照屋:だから僕は、日本人だからわかるような笑いは、あえて入れなかったんです。他の国の人が観ても、なんとなく分かるようなおっちょこちょいな内容の脚本に変えました。そういうことを意識して作ったから、海外の人にも分かりやすかったのかもしれません。
福田:特殊な題材だけに、フラットに撮る。それが分かりやすかったんですね。
照屋:あと、こういう文化や風習を題材にした時は、そのまま描くと、どうしてもドキュメンタリーには勝てないんですよ。だから「洗骨」の儀式を見せるというよりも、「洗骨」に向かうまでの家族の人間関係に重点を置いて書きました。そうしないと、絶対にドキュメンタリーに負けてしまうので。
*(2)「自分たちが住む街のさまざまな魅力を全国に伝え、地域を活性化させたい」という地元への熱い想いを、映画を通して実現する吉本興業の地域発信型映画プロジェクト。 制作ノウハウを持った吉本興業がバックアップし、地域住民には脚本や出演など、映画制作全般に参加してもらうことで、もの作りの楽しさ、喜びの共有を目指す。