悲しみを超越したエスキモーの死生観
照屋:「死生観」の話を、もう少ししてもいいですか。
福田:もちろん! 伺いたいです。
照屋:僕が印象に残っているのは、グリーンランドに住んでいるエスキモーです。極寒の地で生活するので、野菜も育てることができないから、食料のためにセイウチ猟に行くんです。500kg以上もあるセイウチをやっつけるのは命がけ。だから家族何世帯かで集まって、一緒に襲って、やっとのことで何カ月分の食料を手に入れて、保存しながら食べる。そういう、食料が限られている暮らしだから、「働けない男(セイウチ猟に行けない男)」となると口減らしの対象になるんですね。日本でも、楢山節考の姥捨て山がありましたし、沖縄でもかつては口減らしの風習はあったそうです。 エスキモーの場合、例えばおじいちゃんだとすると、「オレはもう猟に行ける体力なくなったな」って思ったら、「次のセイウチ猟には行かない」と家族に告げます。すると家族は「分かった」と言って、普段通りに接する。で、「じゃあ行ってくる」となるんですけど、セイウチもすぐには捕れないから、家を長期間空けるわけですね。おじいちゃんを1人残して家族は出ていく。でも家族はもう知っているわけです。「おじいちゃんは死ぬんだ」って。おじいちゃんは、家族がいなくなったらテントから出て、極寒の氷原を延々、家からできるだけ遠いところまで歩いて行く。で、体力もなくなって倒れたら、そこがもう墓場です。家族がセイウチ猟から帰って来ると、おじいちゃんはもういなくて、でもまた自分たちの生活を普通に過ごしていく。 そういう死生観がものすごく自然であるし、悲しみを超越したような、死を受け入れている感じがしました。もちろん悲しいことですけども、「オレにもいつかは、その時が来るものだ」「そしてそれの繰り返しなんだ」という話が、強く印象に残っているんですよね。
福田:うーん! 本当に映像が浮かぶような話ですね。
照屋:そうなんです。…ちょっと話が逸れるんですが、僕は以前、『世界ウルルン滞在記』という毎日放送のテレビ番組の仕事で、人生の中で3本の指に入るくらい、「もう二度とできない!」という苦しい思いを味わいました。 タイとミャンマーの国境にある、山深いところに住む「ムラブリ族」と1週間、生活を共にするんですけど、もちろん水道も電気も何もない。ただ穴を掘って根菜を食べたり、実を取ったり、生き物がいたらやっつけて焼いたり。飲み物は川の水を直で飲む。家もないから、そこらへんの木を切って、草を敷いて、屋根もないところで1週間寝るんですよ。周りに何百っていうアリが歩いていて……。灯していた火が消えると……カサカサ、カサカサ……って小動物が近付いてくるのが分かるんです、周りからどんどんどんどん。「うわ~!!」って急に夜中に大きい声出すと、サササッといなくなるんです。そんな中で1週間過ごして、本当に頭がおかしくなりそうでした。だからその苦しみがあったから……あれ、何でその話をしたんでしたっけ(笑)
福田:エスキモーの話からでしたね(笑)
照屋:ああ、そうでした(笑) その辛かった『世界ウルルン滞在記』のディレクターが秘境好きで、「ゴリさん、このロケに耐えられたんだから、エスキモーの家族に会いに行きましょう」って言われたんです。…でも僕、沖縄出身じゃないですか。「極寒、無理です」ってお断りさせていただきました(笑)
福田:そこにつながるわけですね。でも、そりゃそうだ(笑)
(後編へ)