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人が人を救うストーリーを描きたい

ゴリさんと映画談義!沖縄と死生観。ITで解決できる映画業界の未来(後編)   Talked.jp

照屋:なるほど……。僕の絵コンテ……。スタッフがみんな笑うんです。ひどすぎて。絵心がないんですよ。

福田:でもみんなが分かるっていうことですよね。そこが大事なところですから(笑)ちなみにゴリさんが次に撮ってみたい作品には、どういう題材がおありになるんでしょう。

照屋:2つあるんですよね。1つは、刑事もののハートフルコメディです。僕はただ笑うだけじゃなくて、最後は「笑いながら泣ける」映画が好きなんです。で、1つめは刑事ものの題材で、コメディのほうに振るかどうかを考えています。
2つめには、いわゆる家族や世間から「はみ出し者」とされている心の苦しさを題材に描きたくて。コロナ禍でいつも思っていたのが、自粛生活のストレス、経済的な影響からのストレスからなのか、車を運転していてもやけにクラクションを鳴らす人がいたり、やけに怒鳴る人がいたり、犯罪が増えたり……。要するに、心が貧しくなってしまう、と感じたんです。かといって、こういう状況でも、おばあちゃんの荷物を持ってあげようとする中学生を見かけたり、公園で犬2匹を片手で散歩させながら、片方の手ではベビーカーを押しながら散歩している妊婦のお母さんがいたり。大変そうなのに、その妊婦さんの方から「おはようございます」って、笑顔で声をかけて下さった。僕、その瞬間にうわっと心が動いたんですよ。オレのほうがこんなに両手も空いていて余裕あるのに、向こうから「おはようございます」って……。もちろんその方、僕が誰かは分かっていないですよ。

福田:余裕なさそうな人が、いちばん余裕がある。

照屋:そうなんです! 声をかけてくれたあの余裕。すごく「人間っていいな」って。僕、そういうところですごく感動しちゃうんですけれども、やっぱり人を苦しめるのも人間だけど、人を助けるのもやっぱり人間。……そういうことがコロナ禍でよりはっきり見えた気がして。やっぱり映画においても、エンタメならではの本質がそこにないと、人は観たいとは思わないんじゃないか、と。
いくらたくさんテーマがあっても、楽しませてくれなかったら「そんな重いストーリーは観たくない」となって、飽きられたり、チャンネルを変えられたり、「お前の思想はどうでもいい」みたいになると思うんです。
派手に、犯罪者と警察で逃げる、追いかける、ドンパチがある。そこにお笑いがあったり、色恋沙汰のちょっと色っぽいエロがあったり、人間の欲を引き付けるものを前提としてストーリーを引っ張りながら、そこにはみ出される苦しさや、承認欲求が満たされない孤独な人たち同志が、お互いに魅かれあって、お互いにその寂しさを埋め合う、支え合う……。「人が人を救うんだ」ということをテーマにしたものを撮りたいっていう思いが、僕には今あるんです。それをコメディ方向に持っていくのか、重い方向に持っていくのか、まだ決めてはいないんですけども。

福田:エンタメ業界はずっと、コメディアンの人、芸人の人に支えられてきましたよね。ジャック・レモンの時代から、人を笑わすことができる人が、シリアスな演技やクリエイションができるという歴史が脈々とあります。そういうことで言うと、僕は2019年の『洗骨』を、2022年の今騒いでいるわけなんですけども、でも何年経っても、人の心に化学反応が、1本の映画で起きるわけですよね。それがすごいと思うし、だからこそ、映画やドラマにする意味がある。作ったのは自分かもしれないけれど、作ったあとは作品が独り歩きして、それが不思議な化学作用を及ぼす。それが映画だったりするじゃないですか。

照屋:本当にそうです。

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