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YMOヒットがもたらした相乗効果

「ヒットの神様」に愛されるには?YMO、ユーミンを生んだ名プロデューサーの破天荒人生(後編)  Talked.jp

福田:YMOのヒットの裏側には、偶然の産物もあったけど、それプラス川添さんのセンス、戦略という合せ技があった、と。

川添:あとはそのとき、もうやけくそで、日本のマスメディアの専門誌の連中もみんな、ロサンゼルスに連れて行ったんですよ。

福田:やけくそでっていうか、それ周到なご準備じゃないですか(笑)

川添:いやいや、やっぱりちゃんと元を取らなくちゃいけないですからね。フィードバックプロモーションとして、「凱旋帰国!」みたいな演出をしようと思って、メディアも連れてったんですけどね。

福田:それがそもそも、すごくないですか?

川添:連れて行ったときは「TUBESの取材もできる」とか言ったので(笑)、マスメディアの連中が10社ぐらい来たわけです。専門誌ばっかりだけどね。そしたら、いざ演奏が始まって、観客が日本人ミュージシャンに湧いているところを目の当たりにすると、やっぱり「がんばれ日本」みたいな気分になるんですよね。みんなYMOのステージのことを記事に書いてくれました。さらに僕はやっぱりしたたかなんでしょうね。2日目と3日目はビデオクルーを入れて、YMOが当たっている様子を撮影して、それをすぐにプロモーターに「村井に渡せ」といって持って行かせたの。村井もすかさず、NHKの、それもなんと7時のニュースに持っていった。そうしたら編集されて、15分も放送されたんです。結果、視聴率22%でした。

福田:すごい……。それはすごいプロモーション効果でしたね。

川添:それ一発で、YMOはものすごい勢いで売れ始めたんです。

福田:マーケティングコストをかけないというのは、まさにそこですよね。アイディアで全部解決するという。

川添:でもロスに連れていって、演奏させたというコストはかけていましたよ。

福田:はい。それは、「いいものを見せよう」ということで、ですよね。西暦で言うとそれは何年のことでしょう?

川添:1978年か79年です。ちょうど日本がそのころ、コンピュータで世界を席巻していて、「日本人」「コンピュータ」「エレクトロニクス」と。全部つながっていたんですよ。それでYMOのレコードがボンボン売れ始めました。村井から電話がきて、「象ちゃん、NHKのニュースに流したら大反響で売れ始めちゃった」って。「良かったね。どのぐらい売れてるの?」と聞くと、「1日5桁だって」って言うのね。1日5桁って、1日1万枚以上のことです。つまりスーパーヒットになった。それでみんなで日本に帰ってきたんですけど、全員、もうヘロヘロなのよ。ツアーをしていたし、みんな当時は英語もあまりできなかったから。飛行機降りて、みんなすぐに家に帰っちゃってね。そしたらうちのプロモーターが、「いやいや、売れちゃって大変なんですから。川添さん。YMOは今からすぐ記者会見です!」みたいな話になって。YMOの連中もそんなこととは露知らないから、ヘロヘロのよれよれのまま記者会見に(笑)

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