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ヒットと人間心理の難しさ

「ヒットの神様」に愛されるには?YMO、ユーミンを生んだ名プロデューサーの破天荒人生(後編)   Talked.jp

福田:当時のYMOといえば、もう社会現象でしたもんね。

川添:そうですね。でもヒットしたらメディアもゲンキンなもので、「こんなものは出せない」といっていたくせに、「ジャンルがないから、どこでもかけられるよ」っていう理屈に変わって、どんどんかけてくれるようになりました。

福田:だから、一度のヒットはすべてを逆転する力を持っているわけですよね。そうなると、次々とまた、伝搬していく。僕はその当時、中学2年だったんですよ。ウォークマンとYMOと、セットで夢中になりました。放送部だったんですけども、放送部ってお昼に音楽をかけるじゃないですか。それでYMOをかけたら、先生に怒られました。「訳のわからない音楽かけるな!」って(笑)本当はクラシックをかけなきゃいけないんですけど。

川添:ありがとうございます。先生も、そりゃ訳わかんないよね(笑) 中学生の福田さんが聞いてくださっていたその当時、友達が旺文社という雑誌社にいましてね。2代めの社長の赤尾一夫さんがゴルフ仲間だったんです。そうしたら赤尾くんが「YMOね、これ最高だから、うちの『中学時代』っていう雑誌で特集やる」と言ってくれて。赤尾くんも大胆で、1冊まるごとYMO特集にしちゃったの。そんなプロモーションのバックアップもあったんですよ。

福田:僕もそういう雑誌を買っていました、全部。中高生に大ヒットしましたよね。音楽が新しくて、YMOばっかり聴いていましたもん。…たしか、山口百恵さんの引退の時期と重なっていたんでしたっけ? 百恵さんの引退興行を抜いたとか。

川添:その年は、たまたま山口百恵の引退があって、CBSソニーが社運をかけた大プロジェクトをやっていたんですよ。その年の総売り上げが45億円あがっていたんですけど、YMOがそれを超えて52億円でした。山口百恵を超えて、レコード大賞、ベストアルバム賞などももらって。

福田:川添さん、いま淡々とお話くださっていますけども、YMOのお3方からすれば信じられない成功を手にしたわけですよね。そのときは、どういう会話があったんですか? 「ありがとう」っていうこともないんでしょうけど……。

川添:高橋幸宏は冷静で、「川添さんのおかげで大ヒットしました。ありがとうございます」。細野晴臣は「疲れた」。僕の顔見ると「疲れた疲れた」って(笑) 坂本龍一は「もうやだ」(笑)

福田:もうやだ(笑)…いや、なんというか、面白いものですね。ビジネス側の気持ちを、必ずしもアーティストは分かってくれない。それは芸能の世界でもあるわけですけど。そういうことが、その大ヒットの背景にはある。例えば、大ヒットしたアニメ作品でも、アニメーターとプロデューサーがうまくいかなくて、シーズンの途中で終わるっていう話になったとき、日々お札を刷っているような大儲けの毎日の中で暮らしているわけです。ヒットって、そうじゃないですか。だからヒットの絶頂で人は、同じ精神状態をなかなか保てないんでしょうね。特にクリエイターって…。ビジネスマンの場合は、それができますけども。

川添:ああいうスーパーヒットって、突然の現象でしょ? 突然売れちゃうわけです。昨日までは誰にも知られていなかった人が、えらい売れっ子という状態になってしまうから、「こんな自分でいいんだろうか」とか、へたすると「これはおかしなことが起こっている!」と思ってしまうのかもしれないですね。

福田:若い人の場合はとくに、あまり社会のしくみを知らずに生きてきていますからね。世間は芸能人やミュージシャンについて、好き勝手にいろんなことを言いますけど、リアリティを持って、そういう人たちの一生のこと、分かっていないですよね。10代で売れっ子になった場合なんて、スタジオとホテルとレストラン、これしか知らないわけですから。ちょっとふらっと街に出て、「寄り道しようかな」なんていうことも出来ない。…そして川添さんはというと、「もういい。疲れたよ」なんて言われながらも、アーティストと大ヒットをつくってこられたわけじゃないですか。それだけ連続してヒットを出されたことは、関わったアーティストをずっと、大切にされてきた歴史でもあるのではないですか。

川添:それは、そうかもしれませんね。僕は関わったアーティストはすごく、大切にしていました。「オレはプロデューサーだ」「お前らはアーティストだろう」という関係じゃなく、いつも友達のような感覚でいましたね。

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