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トラック運転手を経て電通に入社

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福田:田中さんのようなキャラクターの方は、どういう幼少期を過ごされたのですか。突然、大手の会社を辞めて、「新しいことをやろう!」と思い立つキャラは、どのように形成されたのかなと思いまして。

田中:僕は子どもの頃は、かなりめちゃくちゃでした。親父が結婚6回ぐらいした人で、おかんは結婚3回ぐらいした人で、もう「縁の重なり」みたいな環境で生きてきたというか。 異父兄弟、異母兄弟、いろいろ入り乱れた中で育って、何にも考えずに「大学に入ってみようかな」と思ったので、たまたま受かった東京の夜間の大学行ったんです。早稲田大学第二文学部です。昼間はトラックの運転手をずっとやっていました。電通への就職活動も、何も考えなくて……。ある日作業着のまま学校に行くと、みんながスーツ着ているので「何してんの?」って聞いたら「就職活動。今、流行ってんだよ」って。「え、マジで? オレもやってみるわ」ってことで丸井の「赤いカード」でネクタイを買いまして。

福田:懐かしい(笑) 丸井って、その頃おしゃれになったんですよね。

田中:はい。それで就職試験を受けに行ったらどこの会社でも、「僕は昼間はトラックの運転手をやって、夜に大学に行ってます」しか言わなかったら、全部内定しました。そんなやつはあんまり来ないから。

福田:面白い。だから人は、やっぱりその物語に惹かれるということですよね。

田中:そうかもしれないですね。自分としては素朴にしゃべっているつもり……多少ドラマチックには作りますけど。そこの事実と、ちょっとドラマチックに語る塩梅の大事さはあったかもしれません。それで電通に入ったわけですが、僕は営業志望だったんですよ。入ったら入ったでよく分からないけど、営業は朝とりあえず会社行って、ホワイトボードに「◯◯社」って適当に書いて、パチンコ屋行って、「直帰します」って電話して…っていう日々が続くと思っていたら、どうも営業って激務っぽいなと(笑)「やっぱり営業、行きたくないな」と思っていたら適性試験で、「お前はクリエーティブ」となったんです。たぶんトラックの話もあって、「こいつは作り話の1つや2つ、できるんちゃうか」って思われたんですね。

福田:面白い。そのときの採用した人のセンスも抜群ですね。

田中:ええかげんなやつ来ましたよね(笑) 僕、トラックの運転手になる前の1年間、先述のKLab株式会社創業者の真田哲弥さんが始めた学生企業リョーマ(1987~92年まで存在した大阪市淀川区にあったプロモーション会社で、関西の現役大学生を中心したベンチャー企業として話題になった)にいたんです。真田哲也さんはじめ、DeNA共同創業者の川田尚吾さん、(のちのザッパラス社長の)玉置真理とかGMOの西山裕之さんとか30人くらい集まっていて、みんな「一部上場する会社を作ろう」って言ってたんですよ。「みんなで一緒に1つの会社を立ち上げるんですか」って聞いたら、「違う。30個別々の上場企業作るんや」って言うので、「この人たち頭おかしいんちゃうか」と。僕は1年でやめたんですよね。で、トラックの運転手になった。でも30年間付き合いはずっと続いていて、今回の出版社についても、「こんな会社やりたいと思うんやけど」って報告したら、「それはおもろいな」って。そのうちの1人が、一緒に会社を始めたマルイチグループCEOの加藤順彦なんです。

福田:すごいですね。そんな長い間、縁がつながっていて。

田中:そうなんです。みんな仲良かったですね。僕が電通に就職を決めて、その彼らは、「オレたちは絶対に起業する」って言って、杉並とか世田谷のアパートで「ここで会社を始める」って言って、パソコン2台とかで通信してるのを見て「こいつらあほやな」と思っていましたけど、実際にみんな活躍していて。

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