洗脳が解けて見えた「目の前のドア」
福田:で、そんなすごいキラキラした経歴のノリちゃんの代表的な著書が、『ドアの向こうのカルト』(*現在は文庫化しタイトル変更。『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間のすべて』 河出文庫)で、結構、重版を重ねたんですよね。
佐藤:2013年ですね。河出書房から出ました。業界でもおかげさまで評判が良くて。
福田:これは、どういう心境で書こうかと?
佐藤:自閉症の息子の環境を整えるためにロスに引っ越して、1年経って、2006年ぐらいのときですね。「(宗教に対して)あれっ? オレ、もしかして洗脳されてないか?」って、気付いちゃったんです。
福田:そのときはまだ、教団はやめてなかったの?
佐藤:やめてなかったんです。Yahoo!までは、エホバの証人だったの。TGCに入ってロスに引っ越して、1年経ったときに「あれ?」ってハっとして。
福田:社会人として就職して、仕事はしていたけれど、まだそこは疑問に思ってなかったんだ?
佐藤:信じていましたね。疑ってなかったし、「疑ってはならない」というふうに洗脳されていたから。
福田:そういう洗脳なんだ。
佐藤:洗脳ってどういうことかというと、「自らそこまで歩いて出て行かない」っていうことなんですよ。監禁されているといっても、ドアは開いているのに出て行かない。それを洗脳状態って言うんです。
だからちょっと「あれ?」って思うことはあるんだけど、とは言っても、「神様は正しいときに答えをくださるから」みたいな感じで、その違和感を自ら消してしまうわけです。ただ、いくつか否定できないような問題が出てきて、「あれ? 待てよ、待てよ」と考えているうちに、「そこにある扉」が見えちゃったんですよね。「開けてみたい」と思っちゃったんです。この扉があると知った以上は、もう知らないふりをして戻ることはできなくなった。
福田:それは誰かの影響じゃなくて、それこそ自分でそう思っちゃったんだ? そこがまず、すごくない? 天動説・地動説ぐらいすごいよ。
佐藤:きっかけは2つあって、1つは友達でした。クリスチャンではよく、「ダイバーシティ・インクルージョン」(性別、年齢、障がい、国籍などの外面の属性や、ライフスタイル、職歴、価値観などの内面の属性にかかわらず、それぞれの個を尊重し、認め合い、良いところを活かすこと)とかって最近言うけど、絶対に無理なんです。なぜかと言ったら、聖書の中で「同性愛は石打ち、死刑」って書いてあるので、イスラム国家では今でもそうしているわけですよ。アメリカでは、いまはもう死刑とは言わないけれども、ゲイが差別されているのはそこに歴史と理由があるわけです。
で、教団で仲が良かったアメリカ人の友達が、あるときゲイをカミングアウトしたんですね。それで教団から追放になりました。最後に飯を食ったとき、衝撃でした。後天的にゲイになるのは不道徳だから、と教えられていたんですけど、友達に「いつからなの?」って聞くと、「子どものときから」って。「それは先天的じゃん」と。「それをこいつの罪にして排除する神様っておかしくないか?」というような思いがまずバツンって入ってきて。
2つめは、うちの息子です。「人間はアダムとエバの時代に罪を犯した結果、サタンに呪われているから病気がある」と教えられてきたんですけど、自閉症の息子を見ていて、すごくかわいいんですよ。「これがサタンの罪の産物なのか?」って自分に何度も問うたとき、「やっぱり、おかしくないか?」と。そこで教団に対する、また聖書に対する、信仰に対する疑念がうわーっと出てきて。ひと言で言うと、人道的に反する神って、それ崇拝するに値するのかなっていう、そこですよね。「みんなに平等じゃないじゃん」っていう。
それで、「(教団を)やめる」と言ったらうちの奥さんも、うちの実家もみんな同じ教団だったから(*信者同士でなければ結婚できない)、それでもう一大パニックですよ。「サタンに魂を売るのか!?」みたいな。