SNSによって「宗教化」する人々
福田:でも、教え込まれたこと、固定概念に疑問を持つというのは、すごい脳の飛躍が必要なことだろうね。世間体を気にする普通の人だと、なかなか出来ない。
佐藤:それまでにいろんな蓄積があって、それが溜まっていて、さっきの2つのきっかけでいきなりバーン!とひっくり返った感じなんですよね。
福田:出口を探していたのかもしれないね。
佐藤:探していたと思うし、あと、結構真面目だったので、教団に従っていくために、自分を納得させるために、いろいろと聖書なり、経典なり、宗教の歴史をいろいろ調べちゃったんですよ
福田:いまは何でもネットで検索できるから簡単に背景がわかってしまう。だから宗教は、昔はもっと運営が楽だっただろうな。
佐藤:そうなの、そうなの。だから教団って、まず経典以外の本を読まないように推奨してくるんですよ。情報遮断するために。
福田:遮断できたんだね。でもネット社会になってしまった。そう考えると、なんか面白いよね。なんでもサーチして知ることもできるし、出会うこともできる。これほど多様性がある社会を理解するのが簡単なのに、サーチからSNSが浸透したら、逆にみんな同じような考え方になってしまった。Twitter見てたら結構宗派がわかるよね。SNS時代には、新興宗教を誰かが新たに作らなくても、勝手にみんなが宗教化しちゃう。
佐藤:たぶん、宗教化しないと納得できないんですよ。それでたぶん、ひと昔前の日本のコミュニティがいいって、よくノスタルジックな話があるじゃないですか。でも絶対にそんなことはなくて、それが嫌だからいまのスタイルに移ったわけで、昔は「村八分」っていうリスクがあったわけですよね。だからコミュニティはコミュニティでいろんなリスクをはらんでいる。何が言いたいかというと、なんらかのコミュニティを作ろうと思ったら、やっぱり人の好き嫌いってあるから、その相性の合わない部分を乗り越えてでも納得させて、「ついて来させなければいけない」という命題があるんですよ。日本だったら「日本国家だからついて来い」「日本人だからついて来い」になってくるし、宗教だと「同じ神様を信じているんだからついて来い」という、人の好き嫌いを乗り越えた、より強い論法が必要なんですよね。