未来医療を知ると生き方が変わる
福田:人間ってすごく意志が強くても、かなり周りに左右されちゃう生き物じゃないですか。そう考えると、本当にビジョンだとか、科学を信じる力、さらに自分で考える力が大事になってくると思います。 僕はエネルギー問題について結構、楽観視しています。ヨーロッパの環境活動家の若者が、「気候変動によって生命が失われるかというときに、芸術なんていらない!」とゴッホの名画にスープを投げた事件がありましたよね。でも月のヘリウム3が核融合発電の燃料になるという説もあるし、2050年頃には気候変動問題も解決しているかもしれない。そういう、科学の未来を信じる力が弱すぎるというか、スープの缶をアートに投げる暇があったら、理系の大学に行って勉強しろと言いたいんですけど。ちょっと極端かもしれませんが(笑)
奥:いえ、それはとてもわかります。科学的リテラシーといっても、ものすごく高いレベルを求めているわけではないですよね。19世紀、20世紀、21世紀…と、人類のサイエンスが発展してきた、その発展の違いが分かる程度にはリテラルになってくださいということであって。それ以上詳しく知る必要はなくて、わかりやすく知るためには私が本を書きますから、それを読んでいただけたらいいです(笑)。でもそれを理解できるくらいのベースのリテラシーがないのは困りますよね。
福田:いや、絶対に大事です。そういう意味でも、奥先生の本はマスト。絶対に読まないと駄目です。やはりいま、未来医療にはこういう可能性があるということがぼんやりとでも残っていると、明日からの生き方が変わるじゃないですか。「面倒臭いから健康診断に行かない」といって、大病になってしまった人って、まぁまぁ少なくないですよ。
奥:そうなんですよね。やはりがん検診とか、血液検査だけでも、もっともっと受けたほうが絶対にいいわけですから。でも皆さんそれがやはりピンときてはいなくて、『人生 120 年の最新医学』という佐々木蔵之介さん司会の2時間番組に4回出演したのですけど、毎回蔵之介さんはとても理解して下さるのですが、次お会いするとまた一部忘れているんですよね(笑)
福田: (笑)
奥:やはり、ピンとこない健康な生活を送っていると、まただんだん忘れちゃうんですよね。
福田:まずその人の感性・感度が鈍くなるのを避けることが第一歩である、と。
奥:ワクチンの追加接種みたいなものですよ。やはり少しずつやらなきゃ。(コロナワクチンも)「来年度から一年に一回だけにしましょう」みたいな話が出ていますけれども、それってワクチンの最先端で一生懸命やっている医療従事者からすると、ナンセンスに見えるんですね。一年の半分は(ワクチンが)効いているけど、半分は効いていないみたいな。でも、それでもやはり国がかけられるコストだとか、まあまあ効果があると考えると、私はそんなにおかしな話ではないと思っていて。
福田:うん、決め事ですからね。実際、科学の力とかは関係なく、全体を引き上げるための決め事だから。
奥:そうですね。さすがに(ワクチン回数を)0にするといろいろ問題が起きるだろうと。だからちょっとは協力しなきゃいけない。でも、これを今まで通り年3回とすると国が破産しちゃいますからね。皆さんはあまりご存じないかもしれないけど、ピンポイントでファイザーとモデルナは、2023年から値上げすると公表していますけども、もうびっくりするくらい高くなるんです。
福田:マヨネーズが40円上がった、みたいなレベルじゃない?
奥:マヨネーズを200円で買えたのが3000円くらいになる感じです。
福田:ええ! また商法としてはユダヤ人的ですね。
奥:そう。今までは人類の危機だったので大幅ディスカウントしていましたと。だけど本当はこのくらいかかると、ちゃんとコスト表とかも出してきています。ファイザーもモデルナも、ほぼ同じ値段を出してきて、「これからはこの値段じゃないと売りません」と。(米政府が)買う値段は4~5倍程度ですけど、公的補助でタダだったものが有料になるので、結局はマヨネーズ3000円です。
福田:そういうのは世界中の独禁法をちゃんと公取が調べて是正してもらわないとですね。
奥:そうですね(笑)
福田:でも、あのとき河野太郎大臣(新型コロナワクチン接種推進担当)が交渉に行ったんですよね。一つの大きな先進国の大国のトップが、製薬会社の社長に「ちょっとうちに薬分けてくれ」と言わなきゃいけないという、異様な光景を見せられたわけです。つまり、国のコントロールのレベルってそんなものなのかなって。
奥:それで日本国内でワクチン開発しよう、となりましたよね。あれは私から見ると、昔あった「竹槍攻撃」みたいな感じがしました。それ、全然無理だよね、という。2020年あたりに、「竹槍の槍の竹の皮の色つやはどうあるべきか」みたいな研究に、なけなしのお金を日本企業に出したわけですよ。それは結局、「やっぱり私たちにはできませんでした。公金使ってごめんなさい」で終わってしまって、竹槍では無理でした…みたいな話に。