人生は自分の好みでデザインしていい
福田:この「人は死なない」「人は死ねない」ということについて思うのは、スマホゲームやLINEなど、新しいメディアが二十世紀の終わりからバーッとこの20年間で出てきたわけですけども、これらのメディアが作ってきたものは「暇をつくる作業」なんですよね。人間はどんどん便利になると、『はじめ人間ギャートルズ』の世界からどんどん離れていく。自分で狩りをしなくても冷蔵庫に食べ物はあるし、暑くても寒くてもエアコンがあるから快適に暮らせる。そうなった時に、膨大な暇があるうえに、医療の発達でさらに膨大な生きる時間を与えられてしまった。だから、この「暇つぶしをどうするか」という人類の命題をポジティブに考えていかなければいけない。 で、この「死ねない人間」問題は、どうすればいいんでしょう?
奥:そうですね。これはもう、「あるがままに受け入れる」ですね。
福田:あるがままに受け入れる。あはははは!
奥:楽しくすればいいんです。「暇つぶし」っておっしゃったんですけど、「人生は死ぬまで暇つぶし」みたいな言い回しもフランスとかでは昔からありますし、そこをやっぱり考えるべきですよね。 日本人は、「役割者」に陥りがちといいますか…。たとえば子育てをして、「次の世代へバトンタッチをしなければならない」とか、「会社ではこれをやらなければならない」とか、そういう「べき論」「やらなきゃいけない」ことにものすごくとらわれている気がします。いろんな方から「言うな」と言われることのひとつに、医者として「人の役に立ちたいというのは全然ない」というのがあります。
福田:そうなんですか(笑)
奥:結果的に人の役に立つことが嫌、ということではないですよ。けれど、「人の役に立つから医者をやる」ではなく、そこは本当に「自分がやれることをやりたい」からです。そういう意味では、ある意味ポジティブな暇つぶしとも言えるかもしれませんね。ただ言葉というのは扱いに気をつけないと、「暇つぶしで医者をやってるのか」と捉えられても困るんですけども。ただ人生の生き方論としてはやっぱり、「自分の時間は自分のものです」と言いたい。 なので、それをどういうふうに使って、どう死んでいくかは自由ですし、本当に極論すると人生は「暇」であって、生き方は「暇つぶし」ですよね。それをどういうふうにデザインするか。住む地域の選択も、先程の匿名性を優先してもいいし、そうじゃなくてもいい。だから、「死ねない時代にどう生きるか」というご質問に答えるとするならば、「あるがままに、その時間を楽しむ」ということに尽きるのかなと思います。
福田:はい。本当に、あるがまま。尊いことだと思います。こういう先生とのやりとり含め、人間関係そのものが生きていることの意味であるような気もします。