天の邪鬼にならざるを得ない時代
福田:You Tube的な軽い、浅いものを全否定するわけではありませんが、「深く」あるべきコンテンツも絶対に必要ですよね。とくに日米のアカデミー賞番組を比較すると、それが顕著だなと思いました。日本の場合は、壇上で世間話とかするじゃないですか。でもアメリカのアカデミー賞は受賞者のスピーチがもう素晴らしい。「本当に賞が取りたかったし、そのことによって自分は世界を変えられる力を持っているかもしれないと思った」とか。ご存知ない方のために少し解説すると、「2016年にアカデミー賞候補を白人が独占している」というので、アカデミー賞のボイコット騒動*2)があったんです。以後米アカデミー協会は、2025年には多様性の条件を設置すると宣言して、今も改革が進んでいます。投票権をもつ会員も、アジア人と白人との比率に差が少なくなった。そういう改革が進んでいる国際舞台に対して、日本は世間話ばっかり、みたいな感じで緊張感ゼロです。
野中:世間話、舞台裏、楽屋落ちといった身内話レベルの会話こそが、テレビの世界でウケ始めたのは、今から30年くらい前?とんねるずの番組が流行しはじめたころだったでしょうか。当時は、手が届かないような優れた世界のアスリートや文化人、芸能人を相手に、ためぐちやお行儀も礼儀もない対峙の仕方をする。親近感という意味ではアリ、だったかもしれませんが。それ以降、日本のマスメディアの文化度は、落ちていく一方に思えてしまいますね。
福田:素晴らしい映画作品の裏話…などは、映画好きの人間からすると楽しい。でも、「昨日誰とどこで、何食べました?」的な(YouTubeの)世界に来い!というのは、どうなのかなぁと思います。
野中:「福田さん、ウチの配信に出てくれませんか? 経済をナナメに語っていただいて!」っていうことなんでしょうけども。
福田:そうですね。僕は天邪鬼だから、世の中の裏をすぐあれこれ言いたくなるし(笑)考えちゃうんですよ。
野中:それは、天邪鬼じゃないですよ。天邪鬼にならざるを得ないぐらい、現実社会という「表邪鬼(おもてじゃく)」がひどすぎるから、ということだと思います。
福田:面白い。「表邪鬼」がひどい。
野中:「表」があまりに稚拙だから、「おいおい、大事なのはそこじゃないだろう」「ちゃんとここに光を当てて見なさいよ」と私たちは言いたくなる。…「私たちにとっては」と、勝手に一緒にさせていただいていますけども。
福田:光栄なことです。
野中:「正論を言わずにはいられないよ」というところですよね。
*2)米アカデミー賞の俳優部門に黒人がノミネートされなかったことを受け、アフリカ系米国人のスパイク・リー監督と女優のジェイダ・ピンケット・スミスが授賞式をボイコットしたことが発端。