「民主主義」ではなく「お金主義」
野中:総じて日本人、日本社会は変わるのを嫌う。福田さんは、なぜだと思います?
福田:やっぱり、マスコミも年功序列の組織だから、でしょうか。優れたベテランの記者がいないし、若手が育ってもデスクになっちゃう。常に政治家から小僧扱いされるから、そこでの対話は生まれにくいですよね。
野中:例えば、朝日新聞ならば「権力に対峙し、おいおいそれでいいのか?と問うポジショニング。心情左翼、と呼ばれても、それが我が社です」というスタンスのメディアでした。それが力を失っていくのは、先程もお話が出た社会経済の変化、例えて言えば「電通」を筆頭に広告ダイリテンなる群れが力持っていくときとシンクロする。 戦後復興期には「筆は力だ」という人がいて、社会もそれを「良し」とする風潮もありました。その当時の人口構成を調べてみると、戦争体験者もとても多かった。でも、いわゆる団塊世代が社会に出て、「労働生産性を上げるぞ!」「給料を上げるぞ!」と「所得倍増」「列島改造」…。この時代からずっと、私たち国民は、自分たちでも自分たちを「市民」と言わず、何と呼んだか。そう「消費者」と呼んできた。冒頭に福田さんがおっしゃった、大量生産・大量消費が、国を豊かにすると素直に信じてきた。「消費喚起」のプロのダイリテンの台頭です。TVはじめ、新聞雑誌を手玉、とくれば、ジャーナリズムの根幹へも。広報からイヴェントとくれば、政治も経済の懐にもガッツリ侵入可能です。社会も、人も、会社も、男も「お金」をどれだけ持ってるか?という尺度が、すなわち価値を決定する軸そのものになった。「お金」がリーダーシップをとり、誰をも黙らせる社会の基軸になったと、野中は思っているんです。
福田:やっぱり、マイケル・ムーアがアメリカの資本主義の闇を描いた映画「キャピタリズム~マネーは踊る」の世界観ですよね。
野中:そしてその「キャピタリズム」はいつしか変身して、「マネタリズム」になっていくんですね。民主主義のように見えて、実は民主主義でもなんでもなくて、「金主主義」「お金主義」です。
福田:たしかに、本当にそうです。
野中:だから、「あなた、YouTuberになろうよ」という風潮も、やっぱりみんなが注目してくれるという承認欲求もあるとは思いますが、プライバシーを売ればお金がチャリンチャリンと入ってくるのでいいじゃないか、という「お金主義」が根底にあると思います。
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