「ガーシー報道」に見るメディア問題
福田:先日、「ガーシー」議員が除名処分になりましたよね。でも、かばう気はないですが、ガーシー議員は、国会に行かないという選挙時の公約を守っていました。議員の仕事として議員立法は建てられなかったですが、質問主意書は出していました。ほとんどの議員がこの2つのうち1つもやらなくて、ただ座って居眠りしているだけのサラリーマン議員はクビにならないのか?と思いました。
野中:そうですね。
福田:「出る・出ない」だけなら、オンライン出席とかで解決できる話ですからね。ただ、この「ガーシー問題」の本質はそこではなくて、「嫌なやつを排除する」という結論であったことが嫌だな、と思ったんですよね。彼が提起した課題とは何か。彼を支持した有権者の気持ちは何だったんだろう。そういう分析が一切なされないままにクビにした。彼が通った選挙では、SNSを極限まで駆使した選挙活動をしていました。支持した人たちが…言葉は悪いですが、YouTubeばっかり見てる人とか、スマホゲームばっかりしてる人だったとしても、それはある大きな勢力になるわけです。
野中:その方たちが、投票行動に出た。ここは、着目すべき変化!ものすごいことだと思います。
福田:そう思います。第二のガーシーなのか、またガーシー本人なのかは分かりませんが、同じような候補者が今後も次々と当選していくだろうと想定したとき、ガーシーの件は、「日本が変わるべき指針の何か」にすべきだった。急に鈴木宗男さんが出てきて、多数決で「ガーシーは除名です」って。「え、誰も文句を言う人はいないんだ」と驚きました。僕は、「一方的な決めつけでいいの?」ということが言いたいのです。
野中:おっしゃるとおり。それをやらなければいけないのがメディアであり、ジャーナリズムなんだと思います。「ガーシーのやり方、国会をバカにしているのか?」「馬鹿にされるような国会システムなのか?」「鈴木宗男さんも、一石を投じたガーシーについても、真摯に受け止めると、時代の課題はなんなんだ?」とか。福田さんがおっしゃった、「また第二、第三の人が出てくるよね」など、それらの問題点をいろんな角度で見て行こうよ、いい方に変えていこうよ、とするのが本来のジャーナリズムの使命だと思うのですが。
福田:僕は、今のジャーナリズムの在り方の批判に加えて、やっぱり提案が必要だなと思います。経済学者でイェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔さんが、「今の19~20代前半くらいの若者全員が野党に入れたとしても、政権はひっくり返らない」とおっしゃっているんですね。なぜなら絶対数が少ないし、60代、70代が日本のイニシアティブを取っていることは、もう変わらないから。「選挙に行っても変わらない」というのを数字のファクトで示したんですね。そこからやっと、「じゃあ、どう解決すればいいのか」の提案の議論ができるじゃないですか。選挙でいえば投票のありようを、政策ごとに投票できるリキッド民主主義にするとか。今の民主主義国家の定義でいうと、民主主義のレベルって、日本は相当下のほうじゃないですか?
野中:一番下のほうから2番目ぐらいでしょうか(苦笑)
福田:なぜ下の方なのか。その背景ってほとんどマスコミの自由度ですよね。記者クラブ制度で、自分で自由に取材もできないし、新しいネットメディアが参入しようとなっても、記者クラブに入れないとか。つまり、第三の権力としてのマスコミが全く機能してない。この「変わらなさ加減」は想像以上だな、と。