音楽のない『ロッキング・オン』から、全面投稿雑誌『ポンプ』へ
橘川:それで、ロックが出てきたのは僕らの20代で、まあ、幸福な時代だったんですけれども、その後パンクが出てきた。これが衝撃だったんです。
福田:78年ぐらいですね。僕は中2ぐらいのときだったから。
橘川:ロックも音楽としてどんどん完成していって、コマーシャルにも使われ、エンターテインメントの世界でもロックの市場をビートルズが中心になって広がっていってね。社会的にも認知されてきたところに、さらに下手くそなパンクが現れて、「これは負ける!」と思ったわけ。パンクっていうのは、「音楽を越える運動」と思ったわけだよね。
福田:セックス・ピストルズとか、ザ・ダムドとラモーンズとか。
橘川:そう。それに対抗するには音楽をやるんじゃなくて、音楽の枠を越えなきゃいけないと思ったんです。要するに、「豆腐屋は豆腐を作ることでロックができるはずだ」と。音楽を作ることがロックなんじゃなくて、生きることがロックだから。「もっと生活全体がロックにならないと、社会は面白くならない」と思ったんですよ。
福田:それで、『ロッキング・オン』とは、また違うメディアを作ろうと。
橘川:文化的で新しくて、受けが良い。音楽のコマーシャリズムそれ自体を壊そうという、マーケットを作ろうと思ったんです。要するに、音楽評とか、そういうのがまったくないメディアを作ろうと思った。
福田:音楽のないロッキング。豆腐屋が豆腐を売るのがロックの神髄だっていうコンセプトで。
橘川:そうです。それで1977年に『別冊宝島』を作ったんですよ。『みんなのライフ&ワークカタログ』というテーマで、99人にインタビューをしました。消防士とかお寿司屋さん、スタイリストから駅員まで、まさに「ロック」を探そうと思って。でも「何がロックですか」って聞いても答えられないだろうから、「あなたの仕事の一番のメリットとデメリットを教えてください」と尋ねたわけです。人に言えない嫌なこともあるでしょうし、反対に人に言えないメリットもあるでしょう、と。
福田:面白いな。今読みたいですね、それ。
橘川:うちの事務所のどこかにあると思うんですけどね(笑)。その『別冊宝島』を経て、今度は「全面投稿雑誌を出したい」と企画をしたんです。
福田:それが『ポンプ』ですね。懐かしいなあ。130円ですか。