『ポンプ』の100文字の投稿は、今のTwitterだった
橘川:例えば、これは『ポンプ』の時の森永製菓の広告なんです。これも全部、投稿なんですよ。
福田:本当だ。これは、『これは森永製菓の広告です。テレビCMを狙え』。
橘川:森永製菓に小宮さんという素晴らしい担当の人がいて、「読者の投稿でCM頁を作る」という企画を面白がって下さって、最後までずっと続けてくれたんですよ。
福田:投稿で広告を作るというのは、今でも充分に通用するアイデアですね。アイデアを募集したわけですか。
橘川:コピーを考えてくれとか、食べ方を考えようとか、毎回テーマを決めて募集しましたね。
福田:『これもあかんも休業中、そんなとき森永お菓子でリズムを取る』。いいですね、これ。場がなかった時代に、場をつくったってすごいことですよ。やっぱり、橘川さんはブロックチェーン(ビットコインの中核となる「取引データ」技術で、分散して管理されるのが特徴)ですね。
橘川:当時、投稿というのはあくまでも雑誌のおまけだったんです。それも大体、編集者が適当に作ったような投稿がほとんどで。でも僕はリアルな投稿を持っていたから、全面投稿雑誌というメディアを作ることができた。でもそこで悩ましいのは、全部は掲載できないし、どうしてもボツが出てしまうということ。それで編集部で議論して、僕らが出した結論は、「紙は限界がある。だから、できるだけ、詰められるだけ詰めよう」と。「メディアの面積」という言葉を作ったんですね。
福田:この文字の小ささ! 中学生じゃないと読めないですね。
橘川:これが、究極の『ポンプ』になると思いました。この投稿、100文字レベルなので、今でいうTwitterですよね。
福田:橘川さんの当時の予測が、まさにそのまま今になっているのがすごい。
橘川:その後、僕が『ポンプ』を辞めたのは1981年なんだけど、ちょうどその頃からパソコン文化が始まりだして、アスキーネットが登場した。『ポンプ』が廃刊になったのは1984年なので、ネットに流れていった人は多いですね。パソコン通信から始まって、ニフティとか掲示板とか、結局みんな投稿者だから、ネットができたら全国の投稿好きがみんなそっちへ行っちゃったわけです。それで、電子メディアを展望しようと思い立って。
(後篇へ続く)