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読書が「推敲する力」を生む

読書でしか、得られない価値  Talked.jp

福田:本でしかできないコミュニケーションがいまだにあるっていうことを、こんなにみんな知らないっていうのは…どうしたらいいんでしょう(笑)

幅:僕はその豊穣な世界を愉しく思えているのですが、どんどんマイノリティになってしまうのは驚きです。

福田:驚きなんですけど、でも今はその伝道師って、幅さんだけなんじゃないですか?

幅:いえいえ…。でも世の中のあらゆるものは、「ストック型」と「フロー型」に今、分かれていますよね。情報に限らず、例えば洋服でも「フロー型」は1シーズンだけ着てメルカリで売っちゃうみたいな。情報も、読んで「面白かった!」で、通りすぎてしまうものがありますけども、やっぱり僕は、その人の中にストックというか、こびりついて離れないものを探す上では紙の本じゃないかなと。…キンドルでもいいんですけど、特に紙の本は、やっぱり有用だと思いますね。紙の本とフロー型のネット情報との違いは何か。僕が思う一番大きな差異は「書き直しができるか、できないか」です。デジタルのテキストは常にアップデートが可能で、終わりがない。一方で紙の本は「校了日」という恐ろしいものがあって、あれを通り過ぎれば、書き直しは回収騒ぎになっちゃうじゃないですか。

福田:そうですよね。紙の本は重版しない限り、修正することができないから。

幅:そうそう。その違いが生むものは何かというと、「終わりがある」=「推敲する」。この推敲がすごく大事なことだと思っています。何度もテキストを読みなおして、助詞はこれでいいのか、リズムはいいのかとか練り直して、じゃあ写真は、デザインはこれで通じるだろうかとか、何度もクリエイティブを考えているうち、キューっと熱が貯まってくる。情報としての精度も上がれば強度も上がるし、やっぱりそこでグーッと人の熱が入ってくると、ポジティブな「念」みたいなものがこもってくるんじゃないかと、個人的に思っているんですよ。

福田:「推敲する力」っていうのは、確かに先程の「想像力を磨く力」と同じくらい大事かもしれませんね。

幅:本当におっしゃる通りで、これからシンギュラリティの時代を迎えようとする時に、人間が何を果たすべきなのかというと、「“その人”の中に、深く刺さって抜けない熱いもの」を表出していくこと。ちょっと偏っているかもしれませんが、僕はそれが人間の仕事だと思っているんですね。以前、とある車のメーカーのライブラリーを作る仕事に関わったんですけども、そこはすごくモダンな会社で、紙のテキストを全部デジタルアーカイブ化しちゃって失くしていたんです。全部デジタルだから、ピピッと引っ張って来ては使えるし、若いデザイナーがコラージュを集めて来て、パッと見いい感じのデザインは早くできるんですけれど、いざモックアップ(模型)を作ると何か弱くて、そういうものばかりになってしまったんですね。で、ある時、美大の彫刻科を卒業して、「彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシがとにかく好き」という男の子がいたんです。一緒に飲むと、「この曲線の部分がですね~」って感じで、ひと晩でも話せる子なんですけども、そういう子が引いてくる線って強いんですよ。で、ある車のエクステリアでも彼のデザインが採用されたんですけどね。それってまさに、シンギュラリティ時代を予見している気がしましたね。 つまり、未来は人間が引くべき線を、「何となくいい感じの平均値」としてAIが探って出してくるようになる。で、これから楽になるわけですが、そういった時に人間は何をやるかと言ったら、「ずっと心をとらえて離れない、ブランクーシのような線の美しさを、自分は出したいんだ!」っていう、偏った熱や数値では説明できないものがシンギュラリティ以降の人間のやっていくべきことじゃないかなぁと。

福田:そうかもしれない!

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