『仏教はニーズ(苦)とウォンツ(欲)の違いを教えるもの』(対談 青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏) | Talked.jp

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対談  青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏

福田:その結果、いい人になって、クビになっちゃった(笑)。つまり「悪かったからこそハリウッドで生き残れたんだ」っていう、ちょっと笑い話なんですけど。でも、僕は、別にクビになったって彼は新しい人生を見つけたのかもしれないって思うようにしてるんですね。その後どうしてるか分からないんですけど。だから、出世して社会的に注目されてることがえらいっていう価値観もそれは一部の価値観であって、関係ないといえば関係ないですよね。むしろどこでもスクラッチになれる力が大事。そこで、お聞きたいのは「40幾つでそうなってももう駄目ですよ」って今、おっしゃったけど、その駄目な人たちが一番駄目なのかって聞いたら駄目とは思うでしょうから、思わないかもしれませんけど、どうしたらいいんでしょう?

青江:そこは結構言い方が大事なんですけども、まずは「駄目なんだ」っていう自覚することだと思うんです。僕も同じように駄目だし、みんな駄目なんですよ。駄目なところは駄目で、それを自覚して受け入れるかどうかで全然違うんですよね。さっきの話も360度調査をして「駄目なんだ」って気付いて変わるわけじゃないですか。変わった結果どうなるかは、将来なんか誰も分からないんで、僕はアドバイスはしても全く責任は取らない。

福田:誰も分かんない。

青江:でも結果として、もう1個上にいけたかもしれないわけじゃないですか。でもそれが失敗で、もう禍福は糾える縄のごとしごとしじゃないですけども、ハリウッドは失脚しちゃったけども、もしかしたらそのうち大統領になるかもしれないって話にもなるので。そこはもう全く分かりません。ただ僕もさっきの話の中で、「どうしてそれ思ったんですか」とか、「それはあなたじゃないといけないんですか」って、全部を否定するんですよ。否定をすることで「駄目なんだ」とか「自分の考えは甘いんだ」とかっていって、そのときに何を思うかが大事なんですよね。

福田:そうですね。

青江:そこで「若造にいろいろ言われた。もうこの話はおしまい」だったら、それはそれでいいんです。しょうがない。でもそこで、こう変えたら、本当にやりたいこと、やるべきところっていうのが見えてくるかもしれない。そこは、相手によって言葉の強さ弱さを変えたりしますけれども。ただ、なんでそれをやりたいのか、どうしてそれが必要だと思うのか、テレビ番組を見て気になったっていうことは、自分の人生と絶対にどこか交わってるはずなんですよ。交わってるポイントがはっきりすれば、もしかしたらやるべきことが見えるかもしれない、パワー持つかもしれないですよね。

福田:分かります。人は生き方それぞれだし、自分が正しいとみんな信じて生きてるんだけども、迷いが生じて頭ぶつけたりして揺れ動く中で、振れ幅が大きくて、失敗の自覚が多い人のほうが、その後の成功も大きいものです。振れ幅が大きい分、傷だらけになって学ぶんでしょうね。僕なんかリーダーやってたりすると、「好きに出来て毎日楽しそうね」って言われるんですけど、普通の失敗程度じゃ不幸そうな顔できませんもん(笑)。