『仏教はニーズ(苦)とウォンツ(欲)の違いを教えるもの』(対談 青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏) | Talked.jp

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対談  青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏

「神さま仏さま」と一緒に言えるってすごい!

青江:バランスでいえば、最近神社の方とお話をしていて思ったのが、お寺ってさっき冒頭でもお話ししたように「これは何ですか」って言ったら全部「これはこれこれといって、こういうものを表してるんですよ」と言えます。例えば「これはもう須弥壇といって、仏教思想だと須弥山っていう山が世界の中心にあって・・」みたいに、全部説明が付くんですけども。神社の人にいろいろ聞いたら、お神楽っていう踊りがあるんですけど、「これ、何なんですか」って聞いてみたら、「神さまが好きな踊りなんです」って。で、「このお面は何なんですか?」「神さまが好きなお面なんです」って。ロジックが全くないんですよ。

福田:そんなのあり? って感じですよね。

青江:ありなんだ・・っていう。でも好きだっていう以外、他に理由はないんですよね。だって例えばお祭りでも、浅草だったら三社祭っていうのがあるんですけども、これも別に続けなければいけないっていうものじゃないんですよ。でも、みんな好きでやってるから何百年も続くんですよね。もう訳分かんないのは、浅草の人なんか、あれ5月の第2週なんですけども、寒い時期になってくると、「お祭りまで半年を切ったからそろそろ筋トレしなきゃな」って、Facebookで5人ぐらいが上げてたりして、「おまえらバカじゃないか」って思うんですけども。

福田:好きなんですね。

青江:それぐらい好きなんですよね。好きっていうことが人を動かすんですよ。

福田:そう思いますね。それは本当、そう思いますね。

青江:一方で、仏教っていうのはどちらかというと、頭なんですよね。これはこうだ、だからこうしたほうがいい、こうすればこうなりますよというロジックがある。例えば、坐禅をすると体はこうなりますよ、心はこうなりますよって。

福田:割と理屈なんだ。

青江:理屈なんですよね。それに比べて、神社はどちらかというと心。ロジックじゃなく、心が動くからという。これが好きだから、気持いいから、って。でも人間って頭だけじゃなくて心がある。両方ともあって、どんなに感情的に生きる人でも、感情8、理屈が2だったりするし、どんなに理屈っぽい人でも、やっぱり感情で動いているわけですよね。なので、ここのバランスが人によって違って、日本はこういうふうに神社もお寺も両方とも持っていて。歴史上、明治までは。それがちゃんと融合していたからこそ、心と頭のバランスが整っていた。「神さま仏さま」と一緒に言えるってすごいんですよね。頭も大事、心も大事って言ってるのと同じですから。神社の方とお話をして、明治よりも前の、神仏が一緒だった時代のことは想像するしかできないんですけども。

福田:そう、それもずっと疑問だった。

青江:頭と心っていうような考えでとらえると、すごく納得したんですね。僕なりの解釈ですけど、これは。

福田:いや、分かりやすかった。僕もどうしてそれが共存するのかって、つい最近考えたところなんですけど、その理解だとストンときましたね。腑に落ちますね。さっきの西洋との宗教観の違い、か、クリスマスがあったり、正月があったりっていうのもよく分かりやすいし。いや、面白かったですね。

青江:ありがとうございます。

福田:だから全てに意味がありますね、きょうの話は。普通にパッと青江さんの経歴をお聞きすると、MBA取ったお坊さんが突然マーケッターとなって、仏事フェスをやってるって奇想天外な感じすごいするわけですけど。きょうのお話をうまく整理して皆さんに伝えることできたら、なんかすごく分かりやすいし、新しいオポチュニティーがまた来るんじゃないかと思いますね。

青江:そうですね。

福田:とにかく青江さんが定期的に何やってるのか、いつも気になっているんですよ。お話できてよかったです。向源の来年も楽しみです。ありがとうございました。

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