ジャーナリズムに「批判的まなざし」は必須
堤:もちろん書き手が単にまだ書き慣れていなくて、書き方のお手伝いをしたり、構成を入れ替えたりなど、アドバイスすることによって仕上げられる原稿は別ですよ。先程申し上げたのは、例えば、コンスピラシー・セオリー(陰謀論)を元に書いてくる書き手などです。じつはメディアに登場する書き手の人たちの中にも、少なからず紛れ込んでいるんですよね。だからそういう書き手は、自分の媒体には近寄らないようにしてもらう。逆に「ちゃんと調べていて、いろいろな情報やデータも読み込んでいて、なおかつ自分の頭で考え、分析して書いてくれるような誠実な書き手にたくさん集まってもらいたい」という考えで雑誌を作っていました。
そうなると、先程の「どうやって情報に向き合うのか」というご質問ですけれども、自分自身が普段から新聞を読んだり、テレビを見たり、ネットで情報を探す時にも自分なりの尺度を育てておかないと、そういう「正しい書き手」を選ぶことはできないわけですね。おそらく福田さんもそうだと思うのですが、人間には一種の動物的勘のようなものがありますよね。「あ、この人は危ないぞ」とか、ちょっと汚い言葉で言わせてもらうと「こいつは食わせ物だ」とか。そういう人たちに出会ってしまうことはありませんか。
福田:めちゃくちゃあります!
堤:そうですよね。ただ、世の中はそういう人のほうが目立ってしまって、マスコミ受けしたり、もてはやされたり……。言葉は悪いけど、この世界には少なからずいるわけです。そういう人を見抜いて、丁寧にお付き合いを断る。逆に、「この人は書ける。本物だ」という人は、たとえ20代の若手であっても、執筆オファーをします。たとえば学界の中でも、50~60歳になって重鎮と呼ばれている人だけが情報を持っているわけではないので、なるべく若い人も含めて、本物の書き手を選び出そうと。
力があるなら、年齢は関係ない。20代の学者に連載してもらったり、その後、雑誌のトップにあるカバーストーリを書いてもらったりもしてきました。
福田:つまり、本物の書き手を探すという目的から、情報と向き合う必要があったという順番ですね。やみくもに情報を集めるのではなくて。
堤:そうです。そのためには、普段から自分自身が自分の感覚で、「これはおかしい」「これは怪しい」と思う記事、起きる出来事は、常に批判的に読み、眺めておくということですね。私は新聞をその時々で「A新聞→B新聞→C新聞」とサイクルを作りながら、少なくとも1紙だけは毎朝、全ページめくるようにしています。ほぼ全ての記事を、少なくとも見出しはチェックする。本文まで読む記事は、固有名詞を頭にたたき込んだり、事実・事態を深く理解できるようにします。それが済むと、ネットで記事を読んだり、あるいは海外メディアを読んだり見たり、より広く関心分野に入っていきます。新聞を全ページめくる時には、たとえどんなに権威のある新聞であっても、「ここにはきっと嘘があるし、フェイクがあるし、ゆがんだ部分がある」と、そういうことを頭の片隅に置きながら読んでいます。
福田:直観から始まって物事を多面的に見る。言うのは簡単ですが、ビジネスマンでもなかなかその見方はできません。仮説を立証するために周辺情報を探っていく。参考になります。