「自分は常に古くなる」という意識をもつ
福田:読者にとってはすでにここまでのお話で、貴重な情報とノウハウが満載なのですが、それをより深めるためにお聞きするんですけども…。ちょっとフェイクも混じっている時、書き手はそこまで分かってないというか、自覚のない人が結構いると思うんですよね。
堤:はい。むしろ、そっちのほうが多いですね。
福田:編集長のある感性によって、「すごいベテランの書き手でも、私はボツ原稿にしますよ。すごい新人でも、アドバイスすることによっていいものができると思ったら共に上を目指しますよ」という、「可能性を探っていく決意だった」と僕は受け取りました。でも、その根底にあるのはインテリジェンスとか、グローバルなものの見方だと思うのですけど、先程おっしゃった「勘」の部分が大きいのではないでしょうか。僕は、その勘の研究と言いますか、「勘とは何なのか」ということを、本当によく考えているんです。
IT業界では、世間的にも話題になって、わくわく楽しそうにやっているのに、一切魅力が伝わってこないプロジェクトやコンテンツが数多くあるんです。先程の原稿のお話と比べるにはレベルが低いかもしれませんが、僕はその人が持っている「アップデート感」が、周囲に伝わってしまう証左ではないかと思います。
堤さんのものの見方が魅力的なのは、世の中をちょっと批判的に見た時に、ご自身の中で止揚する(*1)というか。アップデート感をあえて作るように意識されておられるんじゃないかなと思うんですが、いかがでしょう。
堤:そうですね。やはり単純に、放っておくと「自分はどんどん古くなっている」という意識を常に持つことですよね。アップデートするということは、精一杯泳いで激流を遡っているようなものです。激流の中で一生懸命泳いでも、上流にスイスイ進むことは難しく、同じ地点にとどまっているのがようやくだったりするわけですよね。それを「せめて5ミリでも、毎日前に進みたい」という感覚は持っています。そうしなければ、アップデートはできませんから。
ただ、じゃあだからと言って、あらゆるものをむやみに見ていればいいかというと、時間は誰にも平等に限られていますから、どう生かすかが大事になる。見るもの、読むものをセレクトしないといけないわけです。あるいは、会う人もセレクトしなければいけない。僕の場合は福田さんがそうだったんですけど、冒頭でご説明いただいた金沢工大大学院のセミナーでお会いして、「なんて面白い人なんだろう」と思ったことから、ドナルド・キーン先生の新刊本の装幀を手伝っていただくことにまでつながっていきました。
福田:当時、デジタルの会社を経営していたので、石川啄木の1~2センチほどの写真を復元させていただきましたね。
堤:そうです。明治時代の集合写真の、大勢写っている中のひとりぶんのサイズを、書籍のカバーにできるくらい大きな写真にしていただき、キーン先生はそれでもう大喜びされました。福田さんが面白がり、ご自分の会社の最新技術をもつスタッフを駆使してデジタルリマスターしてくださった写真が、キーン先生の抱いておられた啄木の内面イメージにまでぴったりだったんです。「啄木はきっとこんな人だったはずだ」という。
話を戻すと、このエピソードの全体に見える福田さんの「アップデート感」や面白さ、そこから出てくる刺激があるので、福田さんとお会いすることは、私にとってはまさしくアップデートのひとつです。
福田:そうおっしゃっていただいて、光栄です。
堤:全部が全部、人間の付き合いがそうじゃなくてもよくて、単純な馬鹿話するだけ、というのも大事なんですけどね。でもやはり、自分の生活の中でどこかでアップデート感を持っている、少しでも自分を良くしていこうと思っている人と付き合っていくことも、「情報の選び方」の一つではないでしょうか。
(*1)ドイツ語でAufheben(アウフヘーベン)。ドイツの哲学者であるヘーゲルが問題解決のための方法、弁証法の中で提唱した概念。「対立する考え方や物事からより高い次元の答えを導き出す」「議論を深めることでさらに良くする」