世界を編集する、ということ~編集者と経営者のアップデート術とは

世界を編集する、ということ
~編集者と経営者のアップデート術とは
(後編)

編集・構成:井尾淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2021年9月10日

堤 伸輔 (写真/左)

国際情報誌Foresight元編集長。
1956年熊本県生まれ。1980年、東京大学文学部を卒業し、新潮社に入社。松本清張、塩野七生、ドナルド・キーンなどの編集を担当。2018年よりBS-TBS「報道1930」で国際問題についての解説を担当するなど、テレビ番組のコメンテーターも務めている。2021年よりフリーランスに。近著に『開けゴマ! 読書の世界へ eN Edition 』(エトヴァス・ノイエス新書) がある。

福田 淳(写真/右)

スピーディ・グループ C E O
金沢工業大学大学院 客員教授 / 横浜美術大学 客員教授 ソニー・デジタルエンタテインメント社 創業社長 1965年 日本生まれ / 日本大学芸術学部卒
コンサル業務以外にも、女優”のん”などタレントエージェント、ロサンゼルスを拠点としたアートギャラリー運営、不動産事業をはじめ、中国の新経済特区マカオをベースとした日中エンタメ開発、エストニア発のブロックチェーンを活用したNFTビジネス、企業向け“AIサロン‘を主宰、沖縄でのリゾート開発・ハイテク農業、日本最大のeコミック制作、出版業など活動は多岐にわたる。
カルティエ「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」、ワーナー・ブラザース「BEST MARKETER OF THE YEAR」など受賞。著書、講演多数。
公式サイト:
http://AtsushiFukuda.com

1億総“書き手”の時代に、 編集者的視点を身につける方法

福田:僕は長くエンタメ業界にいて、日本にはとくに、クリエイターに対するリスペクトがないとか、経済的な評価が低いことについて、ずっと疑問を抱いています。先日、デザイナーにおける世界各国の平均収入というデータを見たのですが、日本は年収430万。一方でオーストラリアは1500万円。乱暴な言い方かもしれませんが、日本は代替えが効くサラリーマンのほうが給料は良くて、人ができないスキルを持っている人のほうが給料が安い。僕はクリエイティブな仕事をやっているので、クリエイターの人たちの価値がもっと高くなって、サラリーマンと対等かそれ以上であるべきだと思うんですね。
昔の漫画の編集者は、大手出版社にいると給料もいいでしょう。一方で漫画家はデビューの頃は収入が低いから、「ちょっと前貸しお願いします」「しょうがないな」とか、やっていたわけですよね。でもそのうち売れて巨匠になると、先生ということになる。今の編集者はその頃とは違い、著者と一緒に、それがどんな状況にあろうがパートナーシップを築いている人が、僕はいい編集者だと思うんです。つまり経済価値の優劣で人と付き合う時代じゃなくて、「コミュニティ・バリュー」ですよね。その関係性において、価値を作る時代だなと思うんですよ。けれど日本はなぜものづくりをする人に対して、「誰でもできること」と思っちゃったのかなというのが疑問なんです。

堤:「コミュニティ・バリュー」というのは、よく分かる気がします。それは、雑誌『フォーサイト』を作っていた時に感じたことです。先程は「批判的な見方」ということについてお話ししたので、すごく嫌な面ばかりの編集長であったように聞こえたかもしれませんけれど、そんなに悪人でもないんですよ。
もちろんいい書き手、いい物の見方をしている筆者の人たちはとても大切にしていました。するとそこに、一つのコミュニティが出来上がっていくわけです。『フォーサイト』の編集部員はわずかですけど、その周辺にある数多くの協力者、執筆者のコミュニティは、とても大事にしていましたので。
例えば「この書き手のヒントになるな」と思えるもの、情報や文献などを見つけた時は、すかさず送ります。「こんなものを見つけました」とか、「今後のご執筆の参考になるのではないでしょうか」とか、メッセージを添えて。編集部員にも同様にやってもらいました。自分の書き手、自分が担当している作家やジャーナリストや学者と、ただ時々会ってごはんを食べるだけではなくて、何かしらの材料をこちらからも提供、提案する。「こういったことは書けませんか?」という問題提起、あるいは刺激です。もちろん外れることも多いですが、いろんなものについて小さな仮説を立てて、専門家たちの知的関心に呼びかけてみる。すると、仮説から新しい定説が生まれることもある。「コミュニティ・バリュー」とは、そういうところにあるはずなんですよね。

福田:ありますね。今、その編集者的なセンスが必要だと強く思うんです。なぜなら、みんながSNSをやっていて、みんながにわかジャーナリストになっているから。でも、ジャーナリストとしての訓練は全く受けたことがないじゃないですか?「あいつバカだよ」「バカかもしれないね」「バカかどうか分からないけど、きっとバカだ」と言って炎上して、最悪、人を自殺に追い込んでしまうことまである。
でも、その発言をしている人たちは、全く責任感のない「自称ジャーナリスト」なわけですよ。だから自分の発言することに対して反証したり、「もしかしたら違うエビデンスがあるかもしれない」と調べたり、なんてことは全然ないわけですね。今はたまたま出版不況だから、編集者のセンスというと分かりにくいかもしれませんけど、たくさんいるYouTuberにだって、マーケッターがそのパートナー(伴奏者)としているじゃないですか。「編集者としての視点はどうあるべきか」というのが、世の中を豊かにするキーでさえあると思うんです。
今日のお話を聞いて改めてお聞きしたいのですが、YouTubeをやっていたりTikTokをやっていたりInstagramをやっている人でも、編集者的な視点を持つにはまず何から始めたらいいでしょうか?

堤:シンプルなことから言いますと、何かを書いたり、映像を撮ったりして、アップしようとしますよね。そのアップの前に、1回だけ立ち止まることです。それが全ての始まりです。

福田:なるほど(深く頷く)。

堤:誰かが書いてくれた原稿に対して、そのまま「右から左へ」で印刷所に渡していたら、編集者はいらないわけです。そこを、1回だけ立ち止まって、先程お話ししたイチロー選手のように「もう一人の自分、他人の目で読んでみましょう」ということ。あるいは「私が、その読むお手伝いをします」という人を探すことなんです。要するに、編集者は最初の読者であり、1回立ち止まって、ちょっと発信を待ってもらうこと。すると数時間は、そこに頭をクールにして向き合う時間が生まれるわけですね。後者の場合でいうと、そこから改めて原稿を読んで、「これはちょっと書き過ぎじゃないですか?」とか、「誤解を招くんじゃないですか?」とか指摘してもらう。もちろんその前提としては、「これ面白い、ここもっと強調しましょう」など、編集者としての作業の中にはポジティブな作業のほうが多いし、そちらが主体であるべきなんですけど。ただ一方で、「これは気を付けて」とブレーキをかけてあげなければ、今の言葉で言う「炎上」になってしまうんです。相手からクレームが来るとか、訴えられるとか。編集者というのは、それを未然に防ぐための、一種の防波堤にもならないといけない。
ただ、今は恐ろしいことに、福田さんがおっしゃったように、世の中のあらゆる人が書き手になっていて、かつ発信者になっているわけですよね。しかもそれに対して誰も、「いや、ちょっと待って」と言ってくれる人がいない。ならば少なくとも、自分で1回立ち止まる。アップしようと思ったものをポンと押さずに、せめて3時間は置いて、もう1回読み直すだけで、全ては解消されませんけども、必ず違ってきます。あともう一つ、それに付随して言いたいのは……。いずれ自分が書こうとしている本のテーマでもあるので、さわりだけ言いますけれども……。

福田:はい。今、すごいこと聞いちゃいましたね。

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