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自分で自分の編集者になってみる

世界を編集する、ということ~編集者と経営者のアップデート術とは  Talked.jp

堤:いえ、そんな大した話じゃないんですけど、こういうことです。
「みなさん、冷静に考えてみてください。30年前の日本人、あるいは70年前の日本人と比べると、これほど多くの人がテキストを毎日毎日書く時代がかつてあっただろうか?」

福田:たしかにそうですね! 活字離れとは言いながら。

堤:ええ、離れたどころか、みんなが文字に大接近しています。私は昭和31年生まれですけど、昭和の時代の中高校生は、今のように毎日SNSに何かを書いたり、あるいは画像を載せたり、なんてしていないですよね。せいぜい学校に行ってノートを取るくらい。中には書くことが好きで、日記を書くとか、思い余って好きな子にラブレターを書くとかはあったかもしれませんけれども。文字を書く行為というのは非常に学校教育の場に偏っていて、それ以外は書くことが好きな女子高生、男子高生たちの、いわば個別的なものだったのですけども、今は大人まであらゆる人が、毎日テキストを書かない日はないくらいですよね。

福田:そうですね。

堤:やはりスマホやタブレットやパソコンがここまで普及したことで、人間が文字を書くという行為が、おそらく人間が文字を発見・発明して以来、一人ひとりのテキスト量 ― 印刷所の古い人はそれを「文字玉(モジダマ)」なんて言いますけども ― 一人ひとりが打ち出している文字玉の量は、今が史上最多だと思うんです。これは日本に限らず。

福田:「文字玉」というのは、初めて聞きました。

堤:印刷所のベテランの人は、「文字玉を揃えます」などという言い方をします。若い人は、もう言わないかもしれませんけど。これだけの文字玉を、ありとあらゆる人たちが ― よほど変わり者で「自分はスマホなんて一切いじらない」とか言う人を除けば、ですが ― たぶん日本人1億2600万人の総量を集めたら、ものすごい文字玉が毎日打たれているし、世界74億人を集めたらとんでもない量が毎日毎日打たれているわけです。有史以来、人間がこれほど文字を書いていた時代はなかったと私は確信しています。

福田:かつて学校以外で文章を書くのは、限られた人たちでしたしね。

堤:はい。何が言いたいのかというと、そうやって今は全ての人が文字を書くようになり、毎日文字玉を打ち出すようになったために、編集者的な存在が追いつかないわけです。だったらまず、さっきお話ししたように本人が、自分自身が1回立ち止まって、書いたことに反証・反論するようなものはないか探してみるしかない。ただ、これって人間はなかなかそういかないんですよ。だって書いたものはすぐアップしたいでしょ? 「ちょっといいこと書いちゃったな」と思ったら、ポンと投稿したくなりますよね。

福田:ちょっと変な自慢になりますけど…。僕は毎日、駄文をSNSで出すように心がけているんです。そんな短い文章でも2~3日、書いたものは置いているんですよ。結構書き直して。原形をとどめないぐらいになってからアップします。気軽な、遊びのような文章でも、寝かせるようにしているんです。

堤:それは素晴らしい!

福田:メモ帳の中に「ひと言」という項目を作っていて、思いついたものをひたすらメモをしています。写真は、適当に撮るんですよ。「この写真に合った中身は何かな」と考えて選んで、文章を書いて、何日か寝かせて推敲します。
堤さんから「校閲の大切さ」を教えていただいて、恥ずかしながら、今は以前より書いた文章にセンシティブになれました。しばらく時間をおいて「これ以上直すことはないな」と納得してから、ブログに転載するんです。その時もちょっと直すんですよ。だからすごく気楽に見えて、むっちゃ手間がかかっているんです。本当に勉強になってます。

堤:ますます素晴らしい。やっぱり、書いたものを一度寝かすことはとても大事ですね。昔ならば、原稿用紙に書いたものを一晩寝かせて次の日に送る、その前に習慣的にもう一度目を通し、推敲して送るという作家・書き手が大勢いた。郵便で送るしかなかったからこそ、あるいは、編集者が作家宅に原稿をもらいにくるのを待つしかなかったからこそ、推敲の機会が生まれたわけです。でも今はガジェット上で書き終えると、つい送信ボタンを押しちゃいますよね。

福田:誰かの投稿のシェアもそうですよね。よく読まず、よく確認もせずに同調したり、いいねをしたり。

堤:シェアや「いいね」も危険性をはらんでますよね。だから今は、まず自分で自分の編集者をやることです。

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