世界を知ろうという熱量
福田:エストニアがソビエトから独立して、残った人は30代ばかりだった。そうすると、ここからまた国を作ろうとなったら、当然ネットを駆使しますよね。けれどいつまたロシアに、旧ソビエトが襲ってくるかも分からないから、「サーバーを分散させておこうよ」というDX対策になるわけですよね。分散化は、非常にリベラルで民主的な考え方だから。なぜなら中央集権じゃないわけですから。だから僕は「分散か、中央集権か」という2元論ではなくて、多様に存在できることが「本来の多様性」だと思うんですよ。そういう考えの人が、この先増えていくと思います。
日本を見ると、全然EV自動車は増えないし、「ガソリンはなくせません」なんて言われると「そうなのかな」と思わされちゃう世論があるわけです。
堤:東京にいると、あたかも自分たちが情報の中心にいるような感じに日本人はなってしまいがちですね。でも世界の中で見ると、ものすごく限られた少ない情報の中で生きている。
それはもう、国際情勢について海外のことを見ていると本当に痛感するところがあって。例えばイギリス人の場合、昔からリビングストンだとかスタンリーだとか、冒険家や探検家がいたりして、アフリカの奥地の地形まで頭に入っていて、その知識を持っていることが当たり前でした。あるいは軍事・安全保障の知識でも、どこの国にはどういう大きさの戦艦や駆逐艦が何隻あって……というような。かつての19世紀とか20世紀の時代だと、そういう世界知識を持っていることが、ある層の人びとには当たり前でした。
当時はネットもなかったのに、なぜそういうものを全部集約できていたのかというと、ひとつが「年鑑」の存在なんですよね。例えば『ウイティカ年鑑』という、シャーロック・ホームズの物語にもよく出てくるものとか、『ジェーン海軍年鑑』とか。後者は、今は『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』という、軍事と軍需産業情報に関する週刊誌を出していますけれど、そういう軍事とか世界情勢みたいなものは年鑑にしてまとめて、当時の各国の国力を記してきたわけです。そうした目配りが、イギリスはいまも続いている。
もちろん、いまさら世界を俯瞰できるような年鑑を日本も持ちなさい、と言いたいわけではなくて、そうしたものの根底にある「世界に対していろんなことを知っておいてやろう」という熱量を失わないことです。自分たちの国だけではなくて、周縁部であろうが、おそらく一生行かないような国であろうが、「知るだけは知っておこうよ」という気持ちを、まだヨーロッパの人たちのほうが持っていますね。