読者の器を決めつけない
福田:堤さんが今、ご自身の課題とされていることについて、最後に教えていただけますか。
堤:今、仕事をしていて一番悩ましいのは、「外国について何か書いてください」と言われた時に、どこまで細部を書くのかという線引きですね。細部を書かなければ、本質が分からないことって、たくさんあるじゃないですか。でも実際に細部まで書いてしまうと、「そこまで書かれると、読者はついてこられません」という、これはこれでまた編集者の感覚の話なんですけども。編集者が勝手に物事をフラット化してしまうのはどうなんだろう?と思いますね。
私が常に危険だなと思うのは、「読者はついてこれないから」と決めつけること。それは本当なんだろうか、ということです。もちろん、カタカナの専門ワードが多いだけで読む気がなくなる人もいるわけだし、ついてこない人、ついていきたくない人もたくさんいるのは分かるのですけど、でももしどこかの高校生が「いやいや、これは面白いよ」と読んでくれたとしたら、そういう読者たちのためにも細かいことでも提示すべきなんじゃないか、と。
『フォーサイト』は、かなり細かいことや高度なことまで書いてある国際情報誌、しかも、ウェブ版になる前の雑誌時代は年間契約の定期購読誌だったのに、「高校生の頃に読んでいました」と言われることが実際によくあるんですよね。「それで自分は今、防衛研究所のこういうものを専門に研究する役割になりました」とか、あるいは「外務省で中東を担当しています」とか、言ってくださる。18歳ぐらいの時に読んでいた人が今20代30代になって、『フォーサイト』を読んでいて良かったと言ってくれる。だからこちらが勝手に、「難しいものを出したって、世の中の人が理解できない」と決めつけるのは危険だなと思いますね。テレビだったら、そういうことはもっとありますよね。「テレビだから、そこまでは必要ありません」ということはよくあるんです。例えば1分とか1分30秒でしゃべって、そこに情報を盛り込みすぎるという失敗を、僕はよくするんですね。
福田:そうなんですか。でも、いつもうまくまとめていらっしゃいますよね。
堤:いえいえ、失敗することも多いんですよ。でも、細部を言って初めて分かることもあるわけですよね。だから細部を遠ざけたり、軽視したりするのは、昔とは違っていろいろなことを検索で調べて確かめられるようになった時代だからこそ、もったいないのではないかな、と。
昔、昭和の時代に何かを調べようとすると、国会図書館に行って探すとか、新聞の縮刷版を1ページ1ページめくるとか……。あとは東京・世田谷の八幡山にある大宅壮一文庫という、主要雑誌のバックナンバーを全部揃えているところに行くとか、要するに1日仕事でした。1本の雑誌記事を見つけるのに1日かけて、見つかればめっけもので、2~3日通わないと見つからなかったりする。
それが、今はちょっと調べればネットで出てくるし、しかも日本の情報だけではなくて、英語の検索キーワードの入れ方さえうまくやれば、世界の専門機関が調べた研究論文やレポートがたちどころに見つかりますよね。それを読み込む力さえあれば、一気に専門知識の持ち主になれます。一方で、「完全に専門知識を獲得した」と思うのも、ものすごく危険なんですけど。
福田:分かりますよね、感覚が。
堤:少なくとも外国の専門家にだって近づけるわけですよ。だからその時代に、細部を相変わらず遠ざけ続けるのは、Web記事の十数文字のヘッドラインだけ見て終わらせているみたいなもので、あまりにもったいないんじゃないかなというのが、自分自身への問いかけであり、メディアの課題、日本全体の課題かなと思いますね。
福田:ネットで調べ物が便利になったのに、みんな検索しなくなってるらしいです。コピペ文化が細部を殺してしまうかもしれません。それを防ぐのは本をもっともっと読むしかないですね。読書体験ほど知的好奇心が得られるものはない。そう信じています。
今日は、知的好奇心に火がつくような、本当に充実した時間でした。まだまだ伺いたいことはたくさんありますが、予定より長くなってしまいました。本当にありがとうございました。またぜひ、堤さんの「編集者の視点」をお聞かせください!堤:こちらこそありがとうございました。ぜひまた。
(了)
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