ナポレオンが作った、 フランスのエリート教育の基礎
芳野:昨年、即位礼正殿の儀で、安倍昭恵さんの袖が拡がった白のワンピースが「ドレスコード違反では」と騒動になったことがありましたよね。
福田:そうでした。それで思い出しましたけど、僕は20代のとき、初めてカンヌフィルムフェスティバルに行ったんですね。当時勤めていた(株)東北新社の創立者の植村伴次郎さんのお供で。植村さんは昨年90歳で亡くなったんですけども。当時、僕がカンヌに行ったのは5月で、微妙に暑いからアメリカのハリウッドの映画関係者なんてみんな短パン姿なんですよ。で、僕は植村さんに連れられて、大金持ちの別荘が多くあるムジャンという南仏の村に行ったんです。そこのお城の中でフランス料理を食べるんですけど。そのコースが長くて、夜9時から始まって、最後チーズが出てくるのが夜中の1時とかで…。「何て長いディナーなんだ」と思ってシャツの第1ボタンを外したら、植村さんに烈火のごとく怒られました。「ここは、ちゃんとしていなきゃけないところなんですから!」って。要はゲームのルールを乱してはいけない、と。当時若かった僕は、「アメリカ人は短パンなのになぜ?」と思いましたけども、責任のある人は、責任のある態度を取らなきゃいけないっていうことなんでしょうね。
芳野:ルールを守るというより、その行動は、「ルールを作っている」という誇りと自覚なのかなと思います。言われたから守るのではなくて、自分のやることがルールを作り、ゲームを守っているんだという誇りと自覚。トップに立つ人は、それがあるから頑張れるし、プレッシャーも楽しめる。そういうフランスのエリート教育ですが、じつはナポレオンが基礎を作ったんですよ。
福田:そうなんですか!
芳野:ルイ16世までは当然、身分社会ですから、もちろん例外もありましたけれども、大体いい家柄に生まれれば大臣になったり、近衛隊の隊長になったりしていました。でもナポレオンが皇帝になると、これまでの歴史や伝統とは違う文化のなかで、優秀な人材をつくらなきゃいけないということになった。それで、今のフランスのもとになっているエリート校をつくったんです。理工系のポリテクニークは、革命記念日に生徒がナポレオンのような制服でシャンゼリゼ通りを行進するので、日本のテレビにも取り上げられたりしています。
福田:今のお話で、断然、ナポレオンの本を読みたくなりました。そこなんですね。エリート教育の基礎は。面白い。
芳野:女性の権利などの点ではナポレオンは反動的なのですけど。なぜ、そういうエリートがつくる社会の基礎を作ったのかというと、ナポレオンは自分の権力の基盤が非常に脆弱だと分かっていたからです。だから、それを支える人材を育てようって。
福田:なるほど。必要に迫られてそうしたんですね。
芳野:もともと人気で皇帝になった人ですから。ちょっとタイミングがずれたらコルシカ島の貧しい人で終わったかもしれない。でもたまたま革命期のフランスで英雄になって皇帝にまで上り詰めた。その脆弱さをよく分かっているから、どうすればそれを支えることができるのか、死ぬほど考えたわけですよね。
福田:それが今でもフランスの基礎になっている面があるのだとしたら、面白いですよね。