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ジャッキーの「歴史的スーツ」

いま、必要な「エリート論」~マクロン大統領とナポレオンの戦略  Talked.jp

福田:すごい明快ですね。

芳野:このドレス問題で重要なのは、それで断頭台まで行っちゃうぐらいのことだった、ということなんです。権力って恐ろしいものだから、「それに値しない」とジャッジされたら、引きずり降ろされてしまう。だから、自覚って大切です。マリー・アントワネットはすごくファッショナブルで現代的なセンスの人で、事実彼女のセンスって、革命後から現代にまで引き継がれています。間違いなく時代のうんと先を行っていた。でも、エスタブリッシュメントがやるべきことじゃなかった。ファッショナブルであることって本質的に下克上ですから、それまで力がなかった人が力を得るときに効力を発揮するもので。今トップの人が気まぐれに触れるとあぶないものなんですよ。

福田:自覚の教育ってことですね。織田信長だって、キラキラのほうに行っちゃいましたもんね。成り上がりリーダーは、それなりに自分に重みを持たせたくなるものなのでしょうね。

芳野:下克上はそれでいいと思います。自分が何者であるかを知らないと、間違った手を打っちゃう。知れば、正しい手が打てる。“史上最も有名なファーストレディ”として知られるジャッキーこと、ジャクリーン・ケネディ・オナシスがすごいのは、大統領夫人だった2年半、徹底的にコンセプトを作って、どんなときでも正しい判断を、正しい服装に落とし込んでいた。そして、いつも(ほぼ)同じ格好だった。ケネディが殺されたときのピンクのスーツも何回目かですし。なぜかというと、そうしないと覚えてもらえないから。そうして、人の心に残った。ケネディの死後オナシス夫人になって、メガお金持ちになって、取っ替え引っ替え好き勝手な格好をしていたときは、「ただの富裕層」にしか見えなかった。おしゃれでしたけど、それほど残らない。大統領夫人だったときは、嫌いなスーツ、パンプス、ストッキング、帽子、全部やりました。嫌いであっても、役割だから。いつも同じようなボートネックで、同じような形で、オケージョンに合わせて色が変わるぐらい。いつも同じような装い。だからスタイルとして残っている。

福田:大統領夫人時代には、素晴らしいセルフブランディングはできていた、と。面白い。

芳野:やっぱり、自分が飽きるぐらいじゃないと、人の心に残らないんですよね。スタイルにならない。さらにジャッキーは、そのゲームを心から楽しんだ。役割を演じるということを。

福田:その余裕も、ある種のエリートと定義していいんでしょうね。

芳野:あの夫婦は、歴史好きでもあったんです。だから、自分たちが歴史小説の中の登場人物になりたかったんですよね。

福田:あれは計算された戦略の中で出てきたアウトプットだった、ということですね。

芳野:ジャッキーにとってケネディのお葬式は、歴史小説の登場人物としての最も重要なシーンだったわけです。それをちゃんとジャッキーは書いて演じたという。それがすごいですよね。

福田:すごいですね。

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