虫より賢い人間なんて、あまりいない
中田:『日本人とユダヤ人』(角川文庫)というイザヤ・ベンダサンという著者の本があるのですが。このイザヤ・ベンダサンというのは山本七平先生の筆名で、ユダヤを切り口に日本を見て、「なんと日本とは違うのか」ということが語られた本です。
福田:はい。山本七平さんは、『“空気”の研究』(文藝春秋)という素晴らしい著書で知られる方ですね。
中田:ええ。実は、私は広い意味で中東、イスラム研究に入ったのは、この山本七平先生の著書の『日本人とユダヤ人』を読んで、「あ、こんなに砂漠、中東の文化って違うのか」と思ったこと。それが実は最初なんです。
福田:ユダヤ社会、ユダヤの歴史みたいなことにご関心をお持ちになった。
中田:もともとそうだったんです。それで、キリスト教の聖書研究をやっていましたので。その意味では私は、中東イスラム研究者の中では異端なんですね。大体、みんな「イスラエル大嫌い」「ユダヤ人大嫌い」という意見が多いので。でも私は、全然そういう抵抗感はないんです。というか、こっちのほうが本当は正しい。そもそもユダヤ教、キリスト教、イスラムっていうのは、もともと同じものですから。
福田:今、イスラムの教えで、日本人が知っておくと役に立つ考え方ってなんでしょう? もうちょっと日本の中でのイスラムの理解のされ方を、分かりやすく我々が理解できるドグマ(教義)ありますか?
中田:うーん。本当になんなんですかね。今のイスラム世界がどこからイスラム世界なのかというか……それはもう仏教でも同じで、今の仏教ってどこが仏教なのかっていう。
福田:まあ、そうですよね。ええ。
中田:ええ。結局のところは、身も蓋もないですけど、「人間は愚かだ」ということ(笑)
福田:「愚かであることを知れ」っていうことですね。
中田:まあ、そうですね。当たり前なんですけど、人間って自分が知っていることしか見えないわけですよね。知っていることしか見えないんで、「あ、こんなにも私はたくさんのことを知っている」って思うわけです。でも、実際は知らないことのほうがずっと多いわけですよね。
福田:うんうん。
中田:本当に先ほどおっしゃった3年計画どころか、3分後のことですら分かんないですね。3分後に私が何しゃべっているかなんて分かりませんからね。本当に何も知らないんですよね。実は。 …というようなことが当たり前なんですけど、イスラムだと、それを一応アッラーという宇宙全体の創造主の視点というのがあるので、そこから見ていくんです。それの啓示があったというのが、このイスラムの教えの中心ですので、「人間がいかになんにも知らないのか」ということが出発点。だから本当に、その意味では人間同士の差なんて、どうでもいいぐらいちっちゃいことなわけですよね。さらに言うと人間同士だけじゃなくて、人間と例えば猿の違いでも、ミミズの違いでも、たいしたことはないっていう。
福田:(笑)。そこまでいくんですね。なんか今僕は、「そうは言ったって、虫以上ぐらいの位置付けはあるんですか」って聞こうと思ったんですけど。これも同じなんですね。
中田:実はそうでもないんですよね。虫は虫で非常に賢く生きているわけで、そして虫よりもバカな人間っていくらでもいるわけで(笑)。人間は、わざわざバカなことやって、自分も周りも滅ぼしたりしますからね。
福田:(笑)
中田:虫よりも賢い人間なんて、あんまりいないわけですよ。
福田:(笑)。でもそう考えると、そんなバカなことをやっちゃう人間って、言葉を持って、ある文明とか社会を作る過程で、「無駄にバカ」になっていくんですね。生きて死んでいけばいいものを。
中田:まあ、そうなんですね。分不相応に子どもが銃を持つのと同じようなことですよね。分不相応なおもちゃを持ってしまったもんで。それをうまく使える人間はいるわけですけど、基本的に使えなくなっているっていう、そんな感じですよね。
福田:そうすると方向性としては、もうちょっと……まあ自然回帰ってわけでもないでしょうけど、「プリミティブになれ」っていうことはあるんでしょうか?
中田:まあ、そうですね。当たり前の知るべきことを知っていればいいという、これはもう別にイスラムでなくても、どの宗教でも言ってることですけどね。
(後編へ)