バーチャル両足院という世界観
伊藤:じつは今、バーチャル両足院という構想を練っていまして。
福田:バーチャル両足院。面白いですね。
伊藤:今、オンライン座禅やアプリでやっているような世界観を作りたいな、と。今まではバーチャルなお寺空間にいたけれども、現実の場所と本当にリンクしていたんだ、というような感じです。そして、その最初の入り口は、アートだとも決めています。デジタルで、アートギャラリー化していくようなイメージですね。 メディアアーティストが発表する場がホワイトキューブだったり、ここにモニターを置いたりするように、バーチャル空間にも同じものがあって、そこを動かせばいいのかなと。同時に、ここの自然環境の情報や庭が発表されたアートともつながっているようにします。メディアアーティストがバーチャルで発表した作品がどんどんアーカイブされたら、「10年前にバーチャル両足院で発表した作品が、オフライン両足院の床の間でも展示されたよ」というような、そういう登竜門にしたいのです。そのためには、一旦「先にバーチャルありき」の世界観が出来ている必要があるなと思っていて。
福田:そこまで突き抜けておられましたか。素晴らしい! 先日こちらにお邪魔したときに、大書院にかけられていたお軸が素晴らしかったんですよね。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」にインスパイアされたという(*「かなアーティスト」赤川薫によるかけ軸「kumonoito」。「蜘蛛の糸」の小説が絵の中に平仮名で書き込まれ、蜘蛛が糸でぶら下がる様子も表現されている)。 で、帰ってからネットで検索したわけですけども、あまり情報が出てこなくて。素晴らしいアーティストの方だし、“ネットに出てこないリアル価値”なのかなと思ったんですけど、でもよく考えたら、もっとネットに出せばいいのに、とも思うわけですよ。今のお話のように、バーチャルありきの世界観が出来たら、それは本当にオフラインと同等の価値観になるかもしれないですね。
伊藤:先程、「スクリーン越しの座禅で質が壊れてしまうのではないか、でも対話にしてみたら、解決策が見つかった」ということをお話しましたが、こういうことは本当にやってみないと分からなくて。バーチャル両足院も、作ってみようと思うけども、「じゃあお寺の本質って何なの?」という問いは絶対に生まれるわけです。そこに、「これはなくても、これさえあれば」という解は、おそらく同じように、やっている間に見えてくると思うんです。この実験なくして「バーチャルがありか、なしか」を議論しても、正直意味がないと思っています。
福田:僕は2016年に東京でVRギャラリーをオープンして、話題になりました。それはGoogleパリと組んで「Tilt Brush」というVR上に絵を描けるツールを使う方法です。なのでホワイトキューブの空間だけがリアルにあるんですよ。そこにいっぱいアートをつくって、ヘッドセットを掛けると存在する。それも、ものすごくリアリティーがあるものです。
確実に存在しているんだけど、リアルには存在していない。「それって何なの?」ってやっぱり言われたんですけど。例えば日常を見ると、スマホのGoogle Mapを見ながら移動したり、LINEやSNSでやりとりしたり、少なくとも僕たちは今、電脳世界の中にある人生の一部を生きていますよね。
伊藤:そうですね。確実に、それはある。
福田:いろいろなところでリアルにもバーチャルにも物事が顕在化していくのは、ありかなと思いますね。
伊藤:絶対にあると思います。
福田:僕のITの後輩の会社、オリィ研究所というところが日本橋に「分身ロボットカフェ」をオープンしました。重度の障がいを持つ方が、口でロボットを動かしてお客さんの対応をして働くのですが、これは非常に社会的意味がある試みだなと思いました。そういったハイブリッドのことが、もう起きていいじゃないかと思うんです。だって、それを認めてもらえないのであれば、そもそも仏教の精神世界って何なんだ?って僕は思います。頭の中にだって、世界があっていいじゃないかって。多様性の中には、バーチャルで生きる道があっていい。それも人類がつくった文明の一つかなと思います。