後楽園スタヂアム代表の英断
北谷:そして東京ドームの常務だった方が、当時私が教えていた米インディアナ大学のキャンパスにある日突然現れたんです。「日本からお会いしに来ました」と。「どうして野球場の方が私のところに?」と面食らいました。すると、「海外からエンターテインメントコンテンツを日本に直接招聘できそうな人材を探してこい、という社命を受けて参りました。いわゆる“呼び屋”だけに依存できませんので」と。
福田:“呼び屋”というのは、懐かしい表現ですね。
北谷:ええ。当時の呼び屋さんというのはチケットを扱うこともあって、ダフ屋との関係もあり、残念ながら反社会的勢力との関係を切っても切れなかったんですね。そういうこともよくご存知だったので、先述の保坂社長が、「クリーンな専門知識を持った人を引っ張ってこい」という指示を出されたそうなんです。
福田:それはすばらしい経営判断ですね!
北谷:すごいですよね。最初はなんのことかなと思って躊躇しましたけれども。商業的な経験はなかったのですが、音楽やスポーツの興行は知的財産権に関わるものばかりです。アメリカの大学、大学院ではそういうビジネスにも当然遭遇するし、勉強もします。なので「勉強をしたことはあります。構造も大体分かってはいます。しかし興行の経験はないのでそこは全然自信がありません。ご協力はしたいけど、それで大丈夫ですか?」とお答えしたところ、「うちには経験豊富な興行部長が1人だけいますから大丈夫です」と。それが、後楽園スタヂアムの興行企画部長だった秋山弘志さんです。彼は、ボリショイサーカスやホリデー・オン・アイスなどを海外から引っ張ってきている実績もあるし、外貨のことも為替のことも分かっている。外人と切った張ったをやるのも得意だから、と。それで、この秋山部長と私とでペアになって、東京ドームの自主興行ビジネスを立ち上げてください、というお話をいただいたわけです。つまりスカウトされて、東京ドームに入れていただいたということです。