グローバルスタンダードを学べ
北谷:最終的には、やはり日本のシューティング(撮影)スタイル、編集のスタイルをもっとグローバル化していかなければなりません。日本産コンテンツが新しいブロードバンドプラットフォームを使って、長期に渡り世界中で伸びていくことは、現段階ではアニメーション以外は非常に難しいからです。 こうした現状の背景に何があるかというと、先述したように、日本はテレビ産業があまりにも豊か過ぎた。日本で作品を作って国内で回すだけで全部完結したわけですね。だから海外に作品を一生懸命売りに行く必要もそれほどなければ、それがないと産業が成り立たないこともなかった。日本のエンタメ産業、とくに映像ビジネスはガラパゴスで許されてきたんです。
福田:わかりやすいです。おっしゃる通りですね。
北谷:で、さらにそこでは何が起こったか。小津安二郎や溝口健二が映画作品を作っていたとき、彼らはドイツやフランス、アメリカの映画をものすごく研究していました。シューティングスタイルからカメラのフレーミング、編集方法、照明……これらの技術について、まずはグローバルスタンダードを勉強したうえで、それを日本映画としてアダプトして、一連の素晴らしい作品を作ったわけです。黒澤も初期はそういう形でした。 では今は、何が違っているのか。こうした過去の日本の名監督と言われる人たちは、みんな自分で絵コンテが描けたのです。福田さんも多くのクリエイターと接触されておられると思いますが、今の日本のテレビディレクター、もしくはテレビ出身のディレクターで、自分で絵コンテを最初から最後まで全部描ける人って、見たことありますか?
福田:ないですね!全然いないです。
北谷:ないでしょう? これはおかしいと思いませんか。ジョージ・ルーカスもスピルバーグも、タランティーノも自分で絵コンテを描いています。ということは、映画を撮るときに、ワンフレームごとの決定を監督が自ら行っていない。なぜそうなるかというと、監督が脚本を読み込んでいない。脚本を読み込んだとしても、自分で絵コンテを描けない。残念ですが、そういう人たちが今の日本の映像文化の中枢なんです。 つまり、テレビの世界が豊かになった後から作品を撮り始めた人は、時間に追われて撮っているので、「マルチカメラでこのシーンを撮って、後から編集でつなげばいい」とか「毎回カメラのポジションを変えるのは大変だから、ズームで撮ってしまえ」となる。役者には「お前ら、5分間演じられるだろう」と言って長撮りして、それを3台ぐらいのカメラで同時進行で撮って、後でつなぐ。そういうことをやるようになってしまった。
福田:カット割り(*2)をしなくなっているんですね。
北谷:そう、カット割りをしない。だから、ポストプロダクション(*3)で編集して、俳優の人気でドライブして、映画を盛り立てて、もしくはテレビの目玉になるような作品を作って、それでプロモーションで煽って公開してしまう。だから海外の人がそういった作品を見たとき、日本の作品に違和感を感じるわけです。アカデミー賞を受賞した韓国の『パラサイト』に代表されるように、同じアジアの韓国、中国、台湾、香港の監督が撮った作品をよく見ると、すべてハリウッド、もしくはブリティッシュスタンダードで、しっかりと基礎ができたうえで撮っています。だから欧米、もしくは中東や南米の人が見ても違和感がない。演者の人種は自分たちとは違うけれども、絵そのもののつなぎ方には全く違和感がない。でも日本の作品だけ「これ何? 中学生が撮ったの?」「これアマチュアのYouTube作品なの?」と、そんなふうに映ってしまうんですよ。
(*2)映画などの制作の際に、脚本に沿って区切りをつけ、アングルや構図などを撮影前に決めること
(*3)テレビ番組や映画、CM、VP、PVなどといった映像を制作する過程における撮影後の仕上げ作業、作業を行う映像制作会社やスタジオのこと
(後編へ)