logo

広告人こそ「公(パブリック)」のイメージをもつ

広告を語ることは、世の中を語ること。~広告界の巨匠に聞く、「夢中」の見つけ方(前編)   Talked.jp

杉山:著書にも書いたんですけど、広告というのは「気づきを与えるもの」なんですよ。ちょっと硬い言葉で言うと、見ている人に「価値の転換を与えるもの」。今までは「こうだな」と思っているものが「あ、そうじゃなかったんだ」というような…。翻って「それなら僕も欲しい」とさせるものだから、強引なお知らせでも自己紹介でもないんだよな。

福田:その大切なことを、ご著書でいっぱい書いてくださっていますね。「広告はトピックサービスである」という考えを、クライアントも、作っている制作人もあまり理解していない。

杉山:していないよね。お金を出しているのはもちろんクライアントで、我々は作る側なんだけれども、世の中に出て行った時にはもうパブリックなものに変わる。だから、何をやってもいいというものではないんだよね。

福田:そこですよね。商品として社会に認められるようにする。

杉山:そう。まず、工場の段階ではまだ製品じゃない。で、(世に)出て行ったら商品になるから、これはもうみんなのパブリックなものになる。 …ちょっと話が飛ぶけど、昔僕が若い時はバリ島が流行っていたんですよ。飛行機でダーンと降りると、もうインディジョーンズみたいな土煙があがるような、掘っ立て小屋みたいな飛行場だったんですよね。で、コンクリートで舗装するために、建設会社の人が義理なのか分からないけども、そこに別荘を買ったんだよね。でも鬱蒼として木もあるから、「木を切ろう」となったんだけど、その時に大反対が起きたわけ。建築会社の人は「なんで自分の家の庭の木を切っちゃいけないんだ」っていうけど、その木があるから日陰になったり、それによって景観が良かったりする。だから自分の家の庭の木であっても、それは「みんなの木」なんだよね。「買ったらオレのもんだ」っていうのはやっぱりちょっと……。

福田:エゴですね。そういった潮流が、全世界的に広がっているんですね。

杉山:広がっているよね。だから一時、美辞麗句で「官から民へ」と言われたけれど、でも民に「パブリックとは何か」というイメージがないままでは、好き勝手なことをし始めてしまう。やっぱりその間に「公」という意識がちゃんとなければ、無茶苦茶になっちゃうんだよね。だからフランスは水道を官に戻す「再公営化」に踏み切ったと思うんだ。経済合理性であらゆるものをやりだしてしまうと、とんでもない混乱になるから。というか、それってそもそも、貧しい発想じゃない。 だからいろんなものが「common(共通の)」という概念になると、実は川も木も林も、みんな人格を持ったものなんだというふうになるので、好き勝手に水を汲んでボトルに入れて売るとか、そういうことはできなくなってくるでしょう?

福田:北海道の水源を隣国の人が買って、勝手に水をとれるっていうふうに、度を超えたキャピタリズムになってしまいます。

杉山:そう。行き過ぎたね。今はキャピタリズムと民主主義の限界がきている。片方で世の中を蔓延しているのは独裁主義というかね。なぜなら真っ当な民主主義っていうのはさ、時間がかかるし、お金もかかるじゃない。

福田:話し合わなきゃいけませんからね。

杉山:そう。それでめちゃくちゃ面倒くさいから、「強い権力によって一気にやっちゃう」というほうが効率も良くなってしまう。…うん。本当に面倒くさいんだよね。

福田:だから必ずしも民主主義が正しいスタイルかどうかは分からないですけど、日本なんかを見ていると、まどろっこしいですよね。

杉山:まどろっこしいよね。「民主主義は最悪の政治形態」という、イギリスの元首相チャーチルの有名な名言もあるくらいだしね。

TOPへ