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クライアントも「夢中」だった

広告を語ることは、世の中を語ること。~広告界の巨匠に聞く、「夢中」の見つけ方(前編)   Talked.jp

福田:ご著書には、クライアントの勉強不足についても触れておられますよね。どの商売でもそうですけども、「お金を払っているから偉い」ということは決してないじゃないですか。だけど、いつの間にやら「言う通りにやれ」という感じになるし、クリエイター側とか受ける側も弱いと、なんでもかんでも「ありがとうございます!」ってなるじゃないですか。それが間違いの関係の始まりですよね。

杉山:勉強不足もそうなんだけど、やっぱりかつてはクライアントも、いいものをつくるために「夢中」だったね。

福田:そこにも、夢中があったんですね。

杉山:まずクライアントが夢中。そうするとこっちは、夢中のクライアントから、「なんだ。たいしたことないじゃん」って言われる恐怖があるから、「絶対にギャフンと言わせよう!」とか、「感動させよう!」となる。そこがファインアートとは違うところ。ファインアートはさ、自分の中に表現しなきゃならないし、表現しないと生きていけない。

福田:そうですよね。

杉山:その動機はクライアントにあるわけじゃない。ものを作るという意味では広告もファインアートも一緒なんだけれども、ファインアートと違うのは、広告はビジネス主体であること。けれど表現でもあるので、最初は自己実現っぽくなるんだけど、やっぱりクライアントが大喜びしてくれることがいちばんうれしい。夢中のクライアントは、「どこよりもかっこいいもの作ってくれ」という、欲の塊なわけだから。

福田:確かにそういう依頼がありましたよね。そういう存在だった宣伝部が、いつの間にか営業部の一部になり、「宣伝はコストなんだよ」「費用対効果が大事」とか言い出すようになっちゃったわけですよね。

杉山:そう。そして、宣伝部にはそういう人しか来なくなった。MBAを取ってね。MBAはさ、ろくなもんじゃない…と言っちゃいけないんだろうけどね(笑)

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